ごあいさつ

マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ・シリーズは1992年にスタートした。以来これまでに、関連作品を含め実に36作品が刊行されている。(内、邦訳済は34作品。2021年冬の時点) 主人公が年を取らない小説シリーズは数多くあるが、本シリーズは主人公をはじめ、登場人物のすべてがリアルタイムに年を重ねていく物語である。1950年生まれのハリー・ボッシュは、刊行開始時点で42歳。それ以降は、現実の時間とほぼ同時進行で物語が進み、何とすでに30年近くが経過したことになる。

第1作から順にシリーズを愛読してきたファンならば、ボッシュの人生について、かれの幼少期や青年期を含め、自分の家族か親友のように把握されていると思うが、大半の読者はそうもいかないに違いない。しかし、それでは本シリーズの醍醐味を十分に味わえていないのではないかと、まことにおせっかいながら考えた。

また、ボッシュはすでに70歳の大台に達し、引退間近である(*)。本人が現役でまだ少し活躍の余地を残しているうちに、かれのこれまでの履歴を紹介し、大半の読者と、これから新たに読み始める方々の参考に供するのも悪くないと思った。これらが本サイトの動機というか、趣旨である。各作品の、ミステリーとしての核心部分は明かしていないので、ご安心いただきたい。

*注: 最新作でボッシュはLAPDを退職していますが、「完全な引退」ではありません!

 

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贖罪の街 The Crossing その1
ボッシュとハラーは裁判所の通路のそれぞれ反対側に属している。ハラーは、ある殺人事件で訴追されたクライアントの弁護を助けてほしいとボッシュに頼み込む。ハラーはクライアントの無実を信じており、今回だけでも通路を渡って(クロッシング;crossing)こちら側にきてほしいとボッシュに求めたのである。ボッシュは強い調子で断るが、ハラーのほうも諦めない。まずは殺人事件調書を見て、クライアントが無実かどうか確かめてほしいとボッシュに懇願する。・・・ハラーの信ずる通りなら真犯人は別に存在し、そんな状況を黙って見過ごしておけるボッシュではなかった。なんとなく躊躇しながらも、しだいにボッシュはこの事件に取り組む自らを合理化し、一線を越える(クロッシング)ことになる・・・。

燃える部屋 The Burning Room その1
ボッシュの定年延長は残り1ヶ月を切ろうとしている。ボッシュは指導役として、新人ルシア・ソトと複数の未解決事件に取り組む。一つめは、2004年にダウンタウン東部で起こった銃撃事件。被害者のマリアッチ・ギタリストは、脊椎に残った銃弾のせいで10年間苦しみ続けた挙句に亡くなってしまうが、その結果、初めて摘出されることになった凶器の弾丸が、解決への突破口となっていく。二つめは、1993年にウエストレイク地区の共同住宅で発生し、犠牲者9名(その大半は子供)に及んだ未解決の放火事件である。同地区で生まれたソトはそのとき7歳であったが、鮮烈な火災の記憶は彼女に大きな影響を与えることになり、その後、彼女が法学を習得し、法執行機関への道を自ら選ぶに至ったこととも無関係でなかった・・・。

Beverly Wilshire Hotel, Beverly Hills

罪責の神々 リンカーン弁護士 The Gods of Guilt
ミッキー・ハラーは、前作の事後、ロサンゼルスの地区検事長に立候補するが敗れてしまう。以前ハラーのもとで飲酒運転の訴追を免れていた元依頼人が2人の歩行者を死なせ、そうした(職業上やむをえない)スキャンダルのため自滅的敗北を招いたのだが、さらにまずいことに、被害者の一人は娘ヘイリーの友人で、ハラーは娘から会うことを拒否され・・・。最新作は、そのような絶望を抱えるハラー自身の心象風景とともに展開。ハラーはこれまでどちらかと言えば、兄のボッシュと同様に、主人公として終始単独で問題に向き合ってきた。しかし今回は「個人からチームへ」という流れがより鮮明となっている・・・・・かれらチーム・メンバーの活躍も本作の見どころだ。

 

M9 pistol, a military spec Beretta 92FS

ブラックボックス The Black Box その1
ボッシュは、飛行機の墜落を調べる調査官のように、事件の核心に近づくための「ブラックボックス」を探し、事件現場で回収された9mmの薬莢が一つの突破口になり得ると考える。その検証技術やデータベースは20年の間に進化しており、薬莢は2件の殺人事件で使用された”ベレッタ92”の発射痕と一致した。その事実は、犠牲者の死が、暴動下で偶然もたらされた暴力によってではなく、何らかの背景や計画性をもった故意による死という可能性を示しており、ボッシュの長年抱き続けた疑問に一つの確証を与えるものだった。ここからのボッシュは、「犠牲者を代弁して、復讐を遂げずにはおかない」あのハリー・ボッシュが健在であることを読者に誇示しながら、一歩また一歩と容疑者に迫っていくのである。

Chateau Marmont Hotel — on the Sunset Strip in West Hollywood

転落の街 The Drop
2年ぶりに読者のもとに帰ってきた、61歳のボッシュ。残り少ない刑事人生についてかれなりの感慨を抱きながら、同時並行でふたつの重要事件を捜査していく。作者コナリーは「撚り合わせながらも、おたがいにけっして触れあわないふたつの異なる物語」をプロットのメインに据えた。それだけでなく、ボッシュと快活になった娘マディとのほほえましい生活ぶり、アーヴィン・アーヴィングとの確執の延長戦、また、出世階段を上りつつあるキズ・ライダーの成長(?)、若いアジア系パートナーとの師弟関係、はたまた新たな女性との出会い(!)など・・・新たなエピソードをマルチ・レイヤーで描き切っている。

あわせて、こちらの「ボッシュ・シリーズと音楽 その16」、「その17」もどうぞ。
ボッシュの履歴書(15) 60代の刑事」はこちら。

   *     *     *

boy_child-504851_960_720 -02▶▶ボッシュ・シリーズのツボ
主人公ハリー・ボッシュは、とにかく”ブレない”。読者はそこに引き込まれる。ここまでブレない一貫性やリアリティを持つ人物を造形するには、よほど手の込んだ仕込みが必要と考えられる。そこで、作者コナリーがどのようにそれを行なっているか、という疑問にできるだけ答えたい。

 

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boy_police-1005116__180コナリーの語る、エルロイとの関係
マイクル・コナリーは、ハリー・ボッシュ・シリーズの執筆にあたって、作家ジェイムズ・エルロイの人生と、かれの作品「ブラック・ダリア」から多大なインスピレーションを得た。その経緯について、コナリー自身が語る内容を紹介する。

 

jazz-artist-708010_960_720-2▶▶ボッシュ・シリーズと音楽
このシリーズでは、まるでミュージカル作品か映画かのように、多彩な音楽がふんだんに使われている。それらの音楽は背景や雰囲気を表現するだけでなく、楽曲やアーティスト自体がテーマやモチーフとなっていることもあるようだ。つい読み過ごしてしまいがちな作中の音楽について、ひと通りふりかえってみたい。

 

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rp_51eVXj136lL._SL160_.jpgボッシュ・シリーズと音楽 その1
ハリー・ボッシュの趣味はモダン・ジャズであり、サクソフォンがお気に入り。一方、作者コナリーはかなり幅広いジャンルを聞く。これから順を追って紹介していくが、まずは第1作「ナイトホークス」と第2作「ブラック・アイス」について。

rp_61hQoMmd66L._SL160_.jpgボッシュ・シリーズと音楽 その10
「暗く聖なる夜」はルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」の一節から、”The Dark Sacred Night”を切り出して採用したもの。作中では、この曲が複数の重要シーンで使われ、本作のテーマが示唆されている。

41z8tzn9jklボッシュ・シリーズと音楽 その12
ハリー・ボッシュとミッキー・ハラーにはヒーローとしての共通点もあるが、バックグラウンドが異なるため、テーマとなる音楽も当然違ったものになる。ボッシュにとってはジャズだが、ハラーの場合はヒップホップである。

 

LA_hollywood-185245_960_720▶▶コラム=作品をより楽しむ視点
ボッシュ・シリーズが面白い理由をあげるときりがない、という実感がある。個々の作品についても、またシリーズと捉えても、読み手を魅了する要素にあふれている。早く次が読みたい。次作が待ち遠しい、とこれほど思わせる読み物はめったにないように思う。なぜそうなってしまうのか、その一端をひも解いてみたい。

 

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life_enjoy-the-freedom-1431563リアルタイムの大河小説 その1
ハリー・ボッシュ・シリーズは、世の中と同時進行である。1950年生まれの主人公ボッシュは1992年の刊行開始時点で42歳、2010年では60歳となった。物語が読者の人生とも並走する、リアルタイムの大河小説である。

 

LA_downtown 2-4ロサンジェルスは「第2の主人公」
作者マイクル・コナリーはロサンジェルス(LA)を舞台とする小説を書くため、仕事場もLAに移し、ハリー・ボッシュ・シリーズでは公約通り、LAという都市自体を第2の主人公であるかのように徹底的に描き込んでいる。

 

coyote-948799_960_720 02▶▶ボッシュ人物論
「ハリー・ボッシュはどのような人物か」ともし訊かれても、本来はあまり教えたくない。なぜなら、ある人物を、ただの知り合いから生涯の友人と感じるようになる場合、個人的にそのプロセスと費やす時間に意味があるからである。とはいえ、その姿勢ではこのサイトが成立しないので、作品から拾い集めた断片をもとに、わたしなりにサラッと主人公の人となりをまとめてみたい。

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coyote-1475613-02ボッシュ人物論2 使命感はどこから
ハリー・ボッシュは、母を殺した犯人に正義の鉄槌を下すという行動以外に、自分の心を正すことができない。ボッシュは、自分の仕事を「使命=任務(mission)」と捉える意識、強烈な使命感で自らを支えていくことになる。

 

highway-216090_960_720-02▶▶ボッシュの履歴書
上の人物論において、ボッシュの性格や考え方がどういうもので、どこから来たかを俯瞰的に考察しているので、ここではボッシュの時系列的な職務履歴を中心に見ていき、かれのそうした内面がどのように外面として発揮されたのか、変化したのか・あるいは変化しなかったのか、周囲に何をもたらしたのか、といったことが垣間見えればいいと思う。

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Vietnam War_Napalmボッシュ、ベトナムに従軍する
ハリー・ボッシュは18歳のとき志願してベトナムに従軍し、地下壕探索兵(トンネル・ネズミ)として戦った。その過酷な体験は、復員後も永年、不眠症として表れ、かれの心理や生き方に深い影響を及ぼすことになった。

LA_black-and-white-1115389_960_720ボッシュの履歴書3 自分さがしの軌跡
ハリー・ボッシュは、自分自身のアイデンティティを求め続けてきた。ある出来事から強制休職処分となってしまうが、その期間を利用して、ずっと心の片隅に残っていた母親殺害事件を調べ、自らひとつの区切りをつける。

 

Sunset Blvd., Los Angeles
Sunset Blvd., Los Angeles

▶▶作品別 見どころ・読みどころ
ボッシュ・シリーズがどのジャンルに属するかは、あまり重要でないように思う。出版社によれば「現代のハードボイルド」であるらしく、作品によっては「警察小説の傑作」となったりする。わたしはミステリーと大きく括ったままのほうが、むしろシリーズ全体の評価を誤らない気がする。ここでは、ミステリーの核心となる部分のネタばれを回避しつつ、作品別の見どころ・読みどころを筆者なりに紹介したい。

 

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coyote-mdfd-02ラスト・コヨーテ The Last Coyote 1995
ボッシュはあるトラブルから休職処分となリ、精神分析医のカウンセリングを受けながら、未解決に終わった33年前の母親の事件を調べ始める。かれはついに真相を突き止め、自分自身を探求する旅に一区切りをつける。

 

la_angels_flight-spエンジェルズ・フライト Angeles Flight 1999
LAバンカーヒルにあるケーブルカーの頂上駅で惨殺死体が発見され、被害者が人権派の黒人弁護士だったことから、メディアは警察の犯行を疑う。ボッシュらは、暴動の気配にプレッシャーを感じながら、捜査にあたっていく。

child-489685_960_720-2暗く聖なる夜 Lost Light 2003
退職したボッシュは、悔いを残していた未解決事件に取り組むが、LAPDとFBIから警告を受けるなど、背後の動きに翻弄される。かれは本作のラストで人生最大のサプライズに出会い、ファン諸兄は落涙を禁じ得ない。

 

LA_l-1262207_960_720 4▶終決者たち The Closers 2005
ボッシュはLAPDに復帰し、未解決事件班で17年前の少女殺人事件を追う。やがて当時の上層部の圧力が事件の迷宮入りを導いたことを知るが、ボッシュらは徹頭徹尾、事実にもとづき、地道に事件を解き明かしていく。

Hong-Kong 03-02ナイン・ドラゴンズ Nine Dragons 2009
酒販店主殺害の背後に中国系犯罪組織「三合会」が浮上する。その直後に娘マディが香港で誘拐され、ボッシュは救出のため現地に飛び、エレノアと彼女を守るサン・イーの力を借りて、街中を必死に捜索する。

 

foreclosure_public_home_auction_sign-03証言拒否 リンカーン弁護士 The Fifth Witness 2011
刑事事件で思うように稼げなくなったハラーは、業務を転換し、サブプライムローンがらみの住宅差し押さえ問題に活路を見いだす。そんななか、依頼人の一人が差し押さえの当事者である銀行幹部の殺害容疑で逮捕される。

 

people-02▶▶登場人物について
多彩だが、うまく絞り込まれている。主要人物は警察官などの法執行官、法曹関係者、ジャーナリストのどこかにおり、科学の専門家や役人などもよく登場する。かれらの家族も重要だ。女性、人種の比率に配慮し、社会的弱者が意識的に配置される。職業犯罪者は意外に少なく、犯罪を実行する者は警察官を含む大多数の普通人のなかに紛れ込んでいる。このような中からとくに印象的な人物をピックアップしてみたい。

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エレノア・ウィッシュは初登場のころ、およそ30歳。女性にしては上背があり、捜査官らしくしなやかで敏捷なイメージ。ただ美しいからだけでなく、人を引きつける何かを持った女性捜査官として、ボッシュの眼に映ったであろう。

baltimore_row-housesレイチェル・ウォリング その1
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キズミン・ライダーは一見「先輩刑事から見て若手の、愛すべき後輩の女性刑事」だが、実は一歩ずつ出世の階段を上りつつある上昇志向の人物である。ただ、ボッシュに対するリスペクトは依然、彼女の支えであり続ける。

 

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