ブラック・ハート The Concrete Blonde

art-therapy-229310_960_720-021989年の「ドールメイカー」事件で、ボッシュは通報によって容疑者の部屋に踏み込み、男が枕の下に手を伸ばしたのを見て射殺した。ところが、枕の下に武器は無く、カツラしかなかった。部屋に残された物証から男が犯人(ドールメイカー)であることは立証されたものの、ボッシュは、非武装の容疑者を殺したとして警察内部で追求され、処分ののち左遷されていた。

それから4年経った1993年11月、ドールメイカーとされた男の未亡人が、「夫は無実だった」としてボッシュを告訴した。ボッシュは法廷に立つことになるが、その裁判開始の日、LAPDに新たな犯行を知らせるメモが届き、ドールメイカーと同じ手口で殺されたコンクリート詰めの女性が発見される。犯人は別の人物だったのか?四面楚歌の中でボッシュは、裁判を受けながら自力で事件の真相を追っていく。

善悪の彼岸 (岩波文庫)善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)本作で、新たな事件と並行して、法廷での厳しい闘いが繰り広げられるところは、まさにりーガルサスペンスである。ボッシュと対峙する相手弁護士の名前が「チャンドラー」というのは面白い。ここでコナリーは裁判のある場面でチャンドラー弁護士に、次のようなニーチェのことばを語らせている。

「怪物と戦う者はだれであれ、その過程において、自分が怪物とならぬよう気をつけなくてはならぬ。そして、おまえが深淵を覗きこむとき、その深淵もまた逆にこちらを見つめかえしているのだ」 (ニーチェの『善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Bose)』の146節)

ブラック・ハート〈下〉 (扶桑社ミステリー)ブラック・ハート〈上〉 (扶桑社ミステリー)ここでボッシュは、心の奥(ブラック・ハート)にひそむ闇との対決において、深淵を覗くあまりに怪物の側に立ってしまったのではないかと、弁護士に迫られているのである。ボッシュの述懐も描かれている。「(ボッシュは)・・・黒き心(ブラック・ハート)のことを考えていた。その搏動はとても強く、街全体の脈拍(ビート)を定めることができるほどだった。ボッシュは、それがずっと自分自身のバックグラウンド・ビート、リズムになるのだろうとわかった」

なお、本作では、ボッシュの母親が殺害された事件に関する新たな事実も浮上し、次作への布石となる。


ラスト・コヨーテ The Last Coyote

ロサンジェルス地震 (Northridg Earthquake) 1994年1月
ロサンジェルス地震
(Northridg Earthquake)
1994年1月

1994年1月、ロサンジェルス地震が発生し、ボッシュの自宅も被害を受ける。そんななか、ボッシュはあるトラブルから上司のパウンズ警部補につかみかかり、暴行を働いたことで強制休職処分となってしまう。ボッシュは、復職の条件として精神分析医カーメン・イノーホスのカウンセリングを受けるが、ふたりの静かな対話からボッシュの心のうちが深く描き出されていく。(詳しくはこちら。ウッドロー・ウィルソン・ドライブの自宅

ボッシュは、この期間を利用して未解決に終わった33年前の母親の事件を調べ始め、自分が長い間それを心の片隅に追いやっていたことは過ちであり、自分が任務(mission)から逃げていたことに気づく。「母は価値のある人間とみなされてこなかった・・・おれにさえも」 ―、このことによって、ボッシュがそれまで、「自分はなにものであるのか」を探し続けてきた旅にひとつの区切りがつけられる。(その詳しい経緯はこちら。ボッシュ人物論

coyote-mdfd-02ラスト・コヨーテとは、ボッシュの自画像にほかならない。「喧嘩早くて、だれにでも引っかき、警戒の声を向ける猫は、仔猫のときに充分抱かれていなかったからなのだそうよ」と、ある女性がボッシュに語りかける場面が描かれる。ボッシュは十分に愛されたことのない仔猫のように育ち、だれも信用せず、独りきりで生きる人間であることに、読者も気づかされる。

「ボッシュはロウレル・キャニオン大通りを左に折れ、曲がりくねった道路をたどって、丘をのぼっていった。マルホランドの交差点で、赤信号に止められ、青になったら右折しようと左手からくる車をチェックしようとしたとき、ボッシュは凍りついた。道路の左路肩にある涸れ谷(アロヨ)の茂みのなかから、一匹のコヨーテが姿を現し、交差点をおずおずと見回したのだ。ほかに通っている車はなかった。ボッシュだけがそのコヨーテを見ていた。

coyote_(fox)-88956_960_720-3その獣は、都会の丘陵地帯で生きていくための苦闘で、やせ細り、毛はばさばさになっていた。涸れ谷から立ちのぼる霧が、街頭の反射を受けて、コヨーテに淡い青色の光を投げかけていた。コヨーテは、つかのま、ボッシュの車をじっと見つめている様子だった。その目がストップライトの反射を受けて、輝く。ほんの一瞬、ボッシュは、コヨーテ、かまっすぐ自分を見つめているのかもしれないと思った。と、獣は背を向け、青い霧のなかにもどっていった」(本文より)

ボッシュが見たサンタモニカ山地の「最後のコヨーテ」は、独りきりで生きていこうと苦闘するボッシュ自身の表象である。また、かれがもし父親の姓を受けていれば、名前はハリー・ハラー(Harry Haller)となるが、それはへルマン・へッセの「荒野のおおかみ(Der Steppenwolf)」の主人公と同じ名前である。「荒野のおおかみ」で苦悩するアウトサイダーの魂は、「ラスト・コヨーテ」と少しだけ呼び名を変えて、ハリー・ボッシュに乗り移っているのである。(こちらも参照。「ハリー」に隠された、もう一つの符号

第1作から「自分がなにものか」を探し続けてきたボッシュのこころの旅は、第4作「ラスト・コヨーテ」(本作)で一応の区切りがついた。しかし、ボッシュはこの先も自分の居場所を探していかねばならない。


ザ・ポエット The Poet

1995年2月、デンヴァー市警察殺人課の刑事であるショーン・マカヴォイが変死した。自殺とされた兄の死に、双子の弟で新聞記者のジャック・マカヴォイ(Jack McEvoy)は疑問を抱いた。調べを進めると、全米各地で、殺人課刑事が同様の変死を遂げていることが明らかになる。FBIは謎の連続殺人犯を「詩人」(ザ・ポエット;The Poet)と名付けた。犯人は、現場にかならず文豪エドガー・アラン・ポオの詩の一節を書き残していたからだ。捜査チームへの同行を許されたジャックは、正体不明の犯人に少しずつ迫っていく。

The Complete Tales and Poems Edgar Allan Poe
The Complete Tales and Poems
Edgar Allan Poe

「詩人」は、捜査が開始されたことを察知し、大胆にもFBIに挑戦状を送って、次の犯罪を予告する。一方、捜査の内情がロサンジェルス・タイムズに報道されたことから、捜査官らは機密漏洩に神経をとがらせる。FBI内部に内通者がいるのか。捜査に協力するジャックは、真犯人を追い詰めたと確信したのだが・・・。本作は、ボッシュ・シリーズからだいぶ離れたようなサイコ・サスペンスだが、コナリー世界の拡大・深化を予感させる傑作となった。

「コナリー初のノンシリーズ長篇。ジャックと犯人らしき謎の人物という二つの視点が交互にストーリーを語る形式を取る。どんでん返しの連発で読者を翻弄しながら、実犯人の正体を示す伏線を配していく技量の確かさは著者ならでは。また、ボッシュを主人公に据えると、本作のプロットが成立しなくなることにも要注目だ。その意味で、この作品はまさにジャックのための物語なのである」(三門優祐氏)

ハリー・ボッシュ・シリーズを軌道に乗せることに成功したコナリーは、ジャーナリストであった13年間の自らの職業経験についても、小説作品に投影したかったのに違いない。解説の関口苑生氏は、そのあたりの機微について、次のように紹介している。

Photo by Minnaert - Los Angeles Times Building (2008) / CC BY 3.0
Photo by Minnaert
– Los Angeles Times Building (2008) / CC BY 3.0

「現在はすでに閉鎖されてしまったが、インターネットのコナリーのホーム・ページに、自分とマカヴォイとの類似点を述べたインタビューが掲示されたことがある。

『主人公である事件記者の暮らしの細かい点というか、大部分はわたし自身の体験――人間の暮らしの中で、最も心傷つく体験をもとにして書きました。感情的に燃え尽きてしまう前に、すべてにおいてシニカルになってしまう前に私は仕事を辞めた。そういうふうに燃え尽きてしまった記者や警官を何人もこの目で見てきたからです。これはジャック・マカヴォイについても言えることです。彼は挫折した〈作家〉で、記者という職にあまりにも長くいすぎたんです。現実の記者たちはジャックと違って、新聞社から新聞社へ、街から街へと渡り歩くことで自分に活力を与えようとしています』

しかし、ジャックの場合は(同時にハリー・ボッシュもまたそうだが)、組織の中にいながら周囲からはアウトサイダーと見られており、結局のところワンマン・アーミーでもあった。慎重でありながら気高く、人と深く関わることを警戒しながら、最後まで闘うことをやめようとはしない」

本作はこの時点でノン・シリーズ作品だが、のちにボッシュの事件と複雑に交錯することもあるため、将来の時点から見ればボッシュ・シリーズのスピンオフ作品と言えなくもない。初登場の記者マカヴォイは、本作で主人公を務めたこのあとも、「夜より暗き闇(A Darkness More Than Night)」と「真鍮の評決 リンカーン弁護士(The Brass Verdict)」の2作に脇役で登場し、その次の「スケアクロウ(The Scarecrow)」では再び主人公として難事件に立ち向かうことになる。

本作でマカヴォイとタッグを組んだFBI捜査官レイチェル・ウォリング(Rachel Walling)は、このあと数多くのシリーズ、ノン・シリーズに登場し、自由奔放、縦横無尽に活躍する。かなり先だが、マカヴォイともう一度タッグを組むことになる。

天使と罪の街(下) (講談社文庫)天使と罪の街(上) (講談社文庫)また、本作「ザ・ポエット」ではすべての謎が解明したわけではない。読者は、本作の実質的な後篇となる「天使と罪の街(The Narrows)」において めくるめくようなプロットの大展開を楽しんでいただきたい。間違っても、逆の順番で読んではいけません。

なお本作は、1997年度アンソニー賞、1997年度ネロ・ウルフ賞、ディリス・ウィン賞、マーロー賞(ドイツ)、ミステリ批評家賞 (フランス)などの各賞を獲得している。


トランク・ミュージック Trunk Music

1996年、ボッシュは上司への暴行を理由とする18ヶ月の強制休職処分を終え、ハリウッド署盗犯課を経て同署殺人課に戻ってきた。ボッシュ46歳。新しい上司は、何となく感じの良さそうなグレイス・ビレッツ警部補となり、彼女は3名編成の捜査チームの一つをボッシュに任せる。メンバーは以前から知るジェリー・エドガーと若手の女性刑事キズミン・ライダーである。二人とも仕事熱心で、ボッシュにとって仕事をしやすい環境が整った。

The Hollywood Bowl Los Angels
The Hollywood Bowl
Los Angeles

ボッシュの新たなチームは、「トランク・ミュージック」というマフィアの手口と見られる殺人事件に取り組む。ハリウッド・ボウルを見下ろす崖の上で、駐車した車のトランクに残されていた死体は映画プロデューサーであり、犯罪組織の資金洗浄係という裏の顔を持つ男だった。ボッシュは、男が殺される直前に訪れていたラスヴェガスに飛び、そこで意外な人物に出会う。

二つの都市を往復しながら捜査を進めるボッシュの前には、お約束のように、LAPDの組織犯罪捜査課(OCID)や内務監査課(IAD)が障碍として立ちふさがる。一方、FBIの捜査官はボッシュに驚くべき事実を明かし、事件は意外な方向に二転三転していく。

las-vegas_casino-921339_960_720ボッシュがラスヴェガスで出会った人物は、第1作「ナイトホークス」で別れた運命の女性、エレノア・ウィッシュだった。シリーズも第5作となり、それまで得られなかった安息の場所が、たとえ一時的なものだとしても、やっとボッシュに与えられたように見える。作者コナリーの意図としては、第4作までのヘビーな展開によって、限界近くまで張り詰めてしまった、主人公自身と読者のテンションを少し緩めてやる必要があったのであろう。

さて、本作にはシリーズの重要モチーフである、エドワード・ホッパーの絵画作品、「ナイトホークス(=夜ふかしをする人たち; Nighthawks)」が再び登場する。ボッシュは、第1作の事件後、エレノアから贈られたこの絵(複製画)を地震で失ってしまうが、本作でエレノア本人に再開すると同時に、彼女のラスヴェガスの家を飾る同じ絵に再会したのであった。この絵がまさに、「ふたりの心のつながりを象徴するもの」(解説の岩田清美氏)であったのだ。ホッパーの絵画について、詳しくはこちら

本作はバリー賞を受賞した。

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わが心臓の痛み Blood Work

Heart and its Blood Vessels, Leonardo da Vinci
Heart and its Blood Vessels,
Leonardo da Vinci

FBIの心理分析官テリー・マッケイレブは長年、連続殺人など多くの難事件に取り組んできたが、1996年4月、たび重なる激務とストレスによって心筋症が悪化し、深夜のオフィスで倒れてしまう。早期引退を余儀なくされた後、1998年2月にようやく血液型の合致するドナーが現れ、心臓移植手術を受ける。

それから8週間が過ぎたある日、退院していた彼のもとにグラシエラという女性が現れ、マッケイレブの心臓のドナーはコンビニ強盗により絶命した妹だと語る。かれは事件の調査依頼を引き受け、強盗殺人犯を追い始める。悪を許さない強い憤りに駆り立てられたマッケイレブは、すべての事件を時系列に検討するなど、病をおして執念の捜査を続けるが、やがて明らかになる真相はかれ自身を巻き込んでいった。

ブラッド・ワーク(Blood Work)の直訳は「血の任務」である。

「やがて原題の〈ブラッド・ワーク〉という言葉が象徴していたもう一つの意味と、真犯人の意図が明らかになり、最終的な事件と個人の究極的な関りが判明する。この先は実際に読んでいただくのが一番だ。コナリーのあきれるほど上手いストーリー・テラーぶりを堪能してほしい。予想以上のショックをマッケイレブと彼の後を追う読者に与え続けるのである」(西上心太氏の解説より)

わが心臓の痛み〈上〉 (扶桑社ミステリー)わが心臓の痛み〈下〉 (扶桑社ミステリー)

本作は「ザ・ポエット」以来のスピンアウト(外伝)作品であり、マッケイレブが主人公である。この事件で、ボッシュはほんのチョイ役で登場するのみ。マッケイレブとボッシュの軌跡は、この後のシリーズで再び交錯することになる。これから3年後の「夜より暗き闇」、さらに3年後の「天使と罪の街」に期待されたい。

ふたりの邂逅の全軌跡は、こちらを参照。

なお、本書は1999年度アンソニー賞、1999年度マカヴィティ賞(国際ミステリ愛好家クラブ主催)、フランス推理小説大賞、2000年度ドイツ・ミステリ大賞翻訳作品部門受賞(第3位)、エドガー賞長編賞ノミネートなどの輝かしい評価を獲得した。内容はまことに、それらの評価に相応しい出来であろう。

また本作は、クリント・イーストウッドの製作・監督・主演により、2002年に映画化された。ワーナー配給で、タイトルはそのまま「ブラッド・ワーク(Blood Work)」である。西上心太氏の解説のなかで、所感が披露されているので紹介したい。

「原作と同様、ロサンジェルス地域でロケが行われ、わずか38日間で撮影されたとふう。さすがにイーストウッドも高齢で、かつての『ダ-テイハリ-』の時のような溌剌とした躍動感はないけれど、大手術後の身体をいたわりながらの捜査活動というシチュエーションのため、不自然さはまったく感じられない。

脇役陣ではマッケイレブの担当医師ボニー・フォックス役のアカデミー賞女憂アンジェリーカ・ヒューストンが、出番は少ないものの流石というべきな存在感を示している。また映画の内容は原作にほぼ忠実で、しかもいかにも映画的なツイストが用意されているので、原作を読んでから観ても、何ら不満を覚えることはないであろう」