燃える部屋 The Burning Room その1

燃える部屋(下) (講談社文庫)燃える部屋(上) (講談社文庫)2014年11月、LAPDの未解決事件班に所属するハリー・ボッシュはすでに64歳。かれの定年延長契約(DROP; Deferred Retirement Option Plan)の期限は2014年12月なので、残り1ヶ月を切ろうとしている。客観的に見ると、ボッシュはついに刑事としてのキャリアを閉じつつあるのだが、本作は、かれの最後の(!?)仕事ぶりについて、読み手を過度な感傷に浸らせることもなく、どちらかと言えば淡々と、起こり来る事柄にそって過不足なく描いていく。とくに、これまでの作品に時折見られた冗長な部分や寄り道があまりないように思う。そして読み終えてみれば、なんとコナリーが、本作をシリーズ屈指の一品に仕上げたことに気づくだろう。(DROPについては「転落の街;The Drop」を参照)

筆者は(2018年現在)、本作で引退を迫られているボッシュとほぼ同年齢であり、状況に親近感を覚える。ボッシュは普通の人のように「できるだけ長く仕事を続けたい(再延長の可能性を期待したい)。しかし、期限は自動的に到来し、そのときは勧告されるまま引退を受け入れるほかない」と、自らを納得させているだろう。たしかに「そうでない自分があり得るのか?」という想像もなくはない。だが、かれは自分が所属するオフィスの光景をながめ、あらためて憂鬱な気分に陥ってしまう。小区画のいくつかで刑事たちは、官給品の椅子の代わりに1200ドルもする私物のハイエンド・モデルを愛用している。またかれらの足元は、タッセル付きのほっそりしたデザイナー・シューズという具合だった。ボッシュは「ひょっとして、キャリアの畳みどきが来たのかもしれない」という気になった。

ボッシュにとって、残された勤務の毎日が黄金だった。市警で過ごす時間がダイヤモンドのようだつた  ―― 地上のなによりも貴重なものだった。経験の浅い刑事を指導し、伝えねばならないあらゆることを伝えるのは、ケリをつけるにはいい方法かもしれない、とボッシュは思った。

ボッシュは、メキシコ系2世の新人パートナー、ルシア・ソト(Lucia “Lucky Lucy” Soto)に、指導役として「あらゆること」を伝えようとする。ここまで本シリーズを読み通してきた読者ならお分かりであろうが、ボッシュがソトに一番授けたいと願うのは、かれ自身の核心である警察官としての「使命感」にほかならない。そして、幸いなことに、ボッシュの努力は報われる方向にある。ソトは単なる”駆け出し”どころか、ボッシュにとって願ってもない逸材であることがストーリーの中で実証されていく。彼女のこれからも続く成長の過程は、ボッシュのもう一人の後継候補である娘・マディの成長とあいまって、シリーズにおける新たな刺激、楽しみとなっていくに違いない。とにもかくにも、ルシア・ソトは本作最大の収穫と言っていいだろう。

ボッシュとソトは、複数の未解決事件に取り組んでいく。人手不足という事情はLAPD も例外でなく、刑事たちの働き過ぎは珍しくも何ともない。とは言うものの、作者コナリーは今回、かれらに対し、明らかにいつも以上のハードワークやスピードを課しているように見える。引退間近のボッシュに残された時間が少ないことを理解しつつも、いま流行りの”働き方改革”的にはどうかと憂慮するファンもいるだろう。しかし、当の本人たちはと見れば、性格的に元々、そんな周囲の思いなどどこ吹く風の”わが道を行く”タイプであって、とくに本作では「捜査の勢い」を何よりも重視し、「立ち止まってしまえば、そこで世界が停止しかねない」とでも言わんばかりに走り続ける。ひたすら捜査に没頭していくボッシュとソトの姿は鮮烈であり、感嘆するほかない。

a Mexican Mariachi band

さて、一つめの事件は、2004年にダウンタウン東部のマリアッチ広場(Mariachi Plaza)で起こった銃撃事件である。被害者のマリアッチ・ギタリストは、脊椎に残った銃弾のせいで10年間苦しみ続けた挙句に亡くなってしまうが、その結果、初めて取り出された凶器の弾丸が、解決への突破口となっていく。未解決事件班が捜査を再開するには新たな証拠が必要であり、その代表的なものは、①DNA、②銃弾の条痕等、③指紋、という3つのファクター(ビッグ・スリー)であると言わている。本事件の決定的証拠は弾丸だった。加えて、10年前よりも進歩を遂げているビデオ解析が得られ、それらの成果によって、ボッシュとソトは銃撃地点の特定にいたる。

Photo by Visitor7 – The Westlake Theatre in the western Westlake district, Los Angeles (2014) / CC BY-SA 3.0

二つめの事件は、1993年にウエストレイク(Westlake)地区の共同住宅で発生し、犠牲者9名(その大半は子供)におよんだ未解決の放火事件である。同地区で生まれたソトはそのとき7歳であったが、鮮烈な火災の記憶は彼女に大きな影響を与えることになり、その後、彼女が法学を習得し、就職先としてLAPDという法執行部門を選んだこととも無関係ではない。・・・「きみはこの事件を解決しようとしているんだな。自分で」・・・ボッシュは、ソトが内側に秘めていた切実な望みや動機といったものが、かつてボッシュ自身の抱えていたものと同質であることを悟り、彼女と共にこの事件に取り組むことを決める。

ボッシュには、LAPD本部長から、親しみを込めて「シルバーバック(Silverback;知恵をもつ老いたゴリラ)」とあだ名されるだけの能力、キャリアがある。本作では、前出の科学捜査と対比するように、ボッシュのそうしたベテラン刑事としての能力が随所でいかんなく発揮され、事件解明に結びついていく。作者コナリーとしては、引退というスペシャル・イベントを控え、捜査における”ボッシュ・スタイル”の集大成を示すべきと考えたかも知れない。そのあたりについて、具体的な事例をいくつか見ていきたい。

City of Los Angeles

まず、筆者が最も注目したいのは、ボッシュとロサンジェルス(LA)の関係である。ご承知のように、コナリーは本シリーズを通じて、ボッシュと同量のエネルギーで、LAという都市(いわば第2の主人公)を徹底して描き込んでいる。ボッシュの役割は、刑事としてLAのあちこちの地区や街路を動き回ることを通して、読者にLAの地理(空間)と歴史・文化(時間)が織り成すおもしろさや、あるいは(筆者の空想と笑っていただいて結構だが)、LAという都市がもっと刺激的な何か ――単なる背景や、無機的な舞台装置などではけしてない”超人的な生命体”か何か―― であることを、伝えようとしているのではないか。本文中に、ボッシュがダウンタウンでふと書店の横断幕を読むシーンがあり、そこには次のように書かれている。

ロサンジェルスはあなたの脳みたいなもの。
あなたはその2割しか使っていない。
でも、それを100パーセント使っていたとしたらどうなるだろう。

ボッシュは事件の捜査にあたって、地元刑事ならではの”土地勘”を働かせるだけでなく、しばしば学者やツアーガイド並みのプロフェッショナルな知識・能力を見せ、それが事件解明のヒントにつながることもある。ただ、そのとき起こっていることは、傍目ではたしかに、ボッシュが能力を発揮しているだけのように見えるが、かれ自身の感覚においては、ヒト並みの頭脳をもつ街(LA)が、かれの眼に何かを見させ、あるいは、かれの耳に何かを囁きかけているのである。本作の中ごろに、次のような描写がある。ボッシュはLAPDの本部ビルから、少し運動しようとして、事件現場のマリアッチ広場に向かってファースト・ストリート(1st St.)を歩いた・・・

広場にいってなにか捜査しようという意図はなかったが捜査中に事件現場に戻ることで、いつも好感触を覚えた。ボッシュはそれを現場傾聴、と呼んでいた。事件後何年も経過したとしても拾い上げることのできるニュアンスやこまかな部分があった。加えて、亡霊がいる感覚もある。殺害された者たちのなんらかの存在感があるのだ。ほかのだれかがそれを感じようと感じまいと、ボッシュはそれをいつも感じた。

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燃える部屋 その2 につづく