リアルタイムの大河小説 その2

 

作者コナリーが、最初からこれほど長いシリーズを構想していたとは信じにくい。しかし、少なくとも、フィリップ・マーロウやダーティ・ハリーと異なる際立った個性を刑事ボッシュに与えlife_on-the-road-1380157るためには、幼少期まで遡った緻密な人物造形が必要と考えたであろう。その試行錯誤の結果がおそらく、コナリー自身にも思いがけないことに、初期の4連作となったのではないか。

読者は第1作「ナイトホークス」から始め、第4作「ラスト・コヨーテ」までを順に読み通すことで、「自分がなにものか」を探し続けるボッシュの内省の旅に同行し、一区切りがつくまで立ち会うことになる。そして、そうしたかれの生い立ちに起因するアイデンティティ確立の物語が、それ以降の、本シリーズの底を流れる通奏低音であることに気づくはずである。シリーズを発表順に読んでほしい理由の一つめがこれである。

ナイトホークス〈上〉 (扶桑社ミステリー)ナイトホークス〈下〉 (扶桑社ミステリー)ブラック・アイス (扶桑社ミステリー)ブラック・ハート〈上〉 (扶桑社ミステリー)ブラック・ハート〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

ラスト・コヨーテ〈下〉 (扶桑社ミステリー)ラスト・コヨーテ〈上〉 (扶桑社ミステリー)さて、コナリー作品を、一時を癒すだけのエンターテインメントとして扱う読者がいたとしても否定はしない。シリーズの中には、それまでの要素や展開をまったく知らなくても十分に楽しめる作品があるからである。ただ先輩読者としては、「その前から読んでいれば何倍も面白いのにね」と、ただただ残念に思ってしまう。その点を具体的に説明したいのだが、これがなかなか難しい。

とにかく、ボッシュはもちろん、シリーズに登場するメイン・キャストやゲスト(事件の核心的人物)の人物造形は的確を超えて見事であり、各人はそれぞれの理由の下に行動する。そのlife_clear-view-1246897複雑かつスリリングなプロット(因果関係)の展開がまた見事である。問題は、そのプロットが一作品にとどまらず、過去のシリーズ作品はもとより、ノン・シリーズ(=いわゆるスピン・オフ作品)を含めて、段階的・派生的に絡み合っていることである。だから、「その前から読んでいればね」という助言にならざるをえない。これが理由の二つめ。

三つめの理由は、コナリー作品ならではの特徴といえるが、ジャーナリスト的な視点から事実を客観的に描写するスタイルにより、物語がドキュメンタリーのように進行していくことである。本シリーズの主舞台はいま現在のロサンジェルス(LA)であり、コナリーは各作品の中で、LAの街路や建物などをありのまま、執拗に描写していく。読者は、LAに行ったことがあれば記憶を探し、あるいは行ったことのない人でも映画の一場面などを頼りに想像力で、LAの地理や地図を頭に思い浮かべることが習い性になる。

Griffith Observatory, Los Angeles
Griffith Observatory,
Los Angeles

コナリーはまた、通りや建物、ランドマークだけではなく、LAで生じるあらゆる事象 ――地震、暴動、人種問題、テロ、実際の事件、イベント、車、流行、インターネット、オフィスや職務の変化、警察機構や捜査方法の変化などを、ニュースやドキュメンタリーような臨場感で生々しく描写する。「リアルタイムな大河小説」に通ずるが、「混迷・変化するLAの現在(いま)」を描き続けているのである。各事象の起こるさまを時間軸に沿って見る、つまり本シリーズを連作として順に読むことで理解が深まることは間違いない。

ただ、ボッシュの生き方に話をかぎると、時代を経ても変わらないものがある。それはボッシュの音楽の嗜好だ。ボッシュと音楽については、こちら。

蛇足だが、典型的な大河小説をいくつか紹介しておきたい。大河小説とは、「一時代にわたって、ある人物、家族、あるいは一群の人物をその背景社会の変化とともに、歴史的に広く長くとらえようとする小説」である。例として、「チボー家の人々 」や「ジャン・クリストフ」といった小説が挙げられる。