キズミン(キズ)・ライダー その1

キズミン(キズ)・ライダー(Kizmin “Kiz” Rider)はジェリー・エドガー(Jerry “Jed” Edgar)と並び、最も長くボッシュのパートナーを務めた。その最初は、1996年9月にボッシュがハリウッド署の盗犯課に復帰したときで、ボッシュの3名編成の捜査班にエドガーと共に加わる。(トランク・ミュージック; Trunk Music

Paramount Studio, Hollywood
Paramount Studio, Hollywood

それは偶然の人事ではなかった。決めたのはボッシュらの上司、グレイス・ビレッツ(Grace Billets)警部補だが、キズミンとビレッツはその前から個人的にも親しい関係(同性愛)にあったことが知られている。キズミンはそのころまだ警察官(巡査または巡査部長)から刑事になって日が浅く、本格的に仕事をスタートする前だった。そこにタイミング良く、旧知のボッシュ刑事が署に復帰してくることを知り、そのチームに加わりたいとビレッツに申し出たのだと思われる。

キズミンは警察官としてのキャリアをパシフィック署で開始した。そこでは強盗・詐欺を扱う部署にいたことになっているが、階級は巡査(Police Officer)だったはずだ。その後ハリウッド署に異動してから、上級の巡査あるいは巡査部長(Sergeant)になるが、そのころ署の中でハリー・ボッシュに出会い、2、3度かれの仕事を手伝う機会などがあって、捜査の専門職である刑事(Detective)に挑戦したいと思うようになった。

ミステリマガジン 2010年 12月号 [雑誌]キズミンがボッシュとパートナーを組むかなり以前に、ボランティアで事件捜査に加わった当時のエピソードが、シリーズ番外の短編に描かれている。興味のある方は読んでみられるといいだろう。(ミステリマガジン 2010年12月号所載「自殺事案(Suicide Run)」マイクル・コナリー著、古沢嘉通氏訳)

A landmark in Inglewood
A landmark in Inglewood

内容が前後してしまうが、アフリカ系の小柄な女性刑事キズミンが生まれ育ったのは、LAダウンタウンからは南西部、国際空港(LAX)の東側となるイングルウッド(Inglewood)の周辺とされている。また、現在も同じところに住み続けている。彼女の兄弟姉妹の一人がかつて殺人の犠牲者となったことも知られている。作者コナリーは、ボッシュ・シリーズの主要人物をみなそのように、執拗なまでに悲劇的要素を加えて設定しているのである。(ボッシュの母、エレノアの兄と本人、レイチェルの父、マッケイレブのドナーと本人、マカヴォイの兄など・・・)

キズミンは、2000年の半ば頃までおよそ4年間、ボッシュのチームで熱心に仕事に取り組み、活躍を重ねていく。1996年の「トランク・ミュージック(Trunk Music)」の事件では、ある重要人物の財務記録を調べ、マネーロンダリングと窃取を証明してみせた。ただ、事件解決の間際に、犯人が隠し持っていた武器を見落とすというミスを犯してしまう。キズミンは、捜査において知的能力を要求される段階では目をみはる活躍を見せるのだが、暴力制圧などを含む現場仕事にはやや不向きであることが、本人や周囲、そして読者に少しづつ理解されていく。

The Hollywood Bowl
The Hollywood Bowl

1999年5月の「エンジェルズ・フライト(Angeles Flight)」の事件では、解決に向けてキズミンのコンピュータ・スキルが最大限に発揮され、大きな役割を果たす。彼女は職場で、インターネットの使い方をボッシュとエドガーに教えることもした。このような場面を通して、キズミンは一見、「先輩刑事から見て若手の、愛すべき後輩の女性刑事」といったキャラクターを演じているが、じつは一歩ずつ出世の階段を上りつつある、上昇志向の人物であった。ただ、ボッシュに対するリスペクトは、依然として彼女の支えであり続けている。

かつてのボッシュと同じように、キズミンはLAPDのエリート部門である強盗殺人課(RHD; Robbery-Homicide Division)に抜擢された。2000年の後半のことである。その少しあと、ある殺人事件の容疑者にされ不利な立場にあったボッシュをバックアップすることがあった(夜より暗き闇;A Darkness More Than Night)。また、2002年1月の「シティ・オブ・ボーンズ(City Of Bones)」の事件でも、ボッシュに協力して容疑者のデータを発見し、その後再び窮地に陥ったかれと部署の壁を越えて連携した。しかしこの事件の結果、ボッシュは退職を決断することになり、キズミンは失望を禁じ得なかった。彼女はボッシュをRHDに呼び、一緒に働いてほしかったのである。

キズミン(キズ)・ライダー その2につづく

トランク・ミュージック〈上〉 (扶桑社ミステリー)トランク・ミュージック〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

 

エンジェルズ・フライト〈上〉 (扶桑社ミステリー)エンジェルズ・フライト〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

 

夜より暗き闇(上) (講談社文庫)夜より暗き闇(下) (講談社文庫)シティ・オブ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)

キズミン(キズ)・ライダー その2

stairs2002年の半ばに、キズミンは警部補(Lieutenant)試験を受けて合格し、パーカーセンター6階のLAPD本部長室の補佐官に抜擢された。彼女は出世階段を上り続けているが、階段はまだ上まで続いている。キズミンの眼差しは少なくとも、警部補の先にある警部(Captain)、そのまた先にある”星一つ”の警視(Commander)あたりまで向けられていただろう。

その年の10月、キズミンは本部長の代理としてハリー・ボッシュを訪ねた。そのころボッシュはLAPDを辞めて私立探偵をしており、1999年に未解決に終わっていたある殺人事件を調べていたのだが、キズミンはボッシュにその調査から手を引くよう警告する。彼女は、その事件がDHS(the Department of Homeland Security;国土安全保障省)の管轄になったことはボッシュに伝えなかった。(暗く聖なる夜; Lost Light

cd-high-jingo-lee-konitz刑事仲間のあいだでよく使われる言い方で、事件が”ハイ・ジンゴ”(high jingo)になった瞬間だったが、現場から疎まれる立場となったキズミンの心境は複雑だったろう。(”ハイ・ジンゴ”については、「ボッシュ・シリーズと音楽 その9」を参照)。この問題をめぐっては、立場の違いから、キズミンとボッシュの間にかなりの軋轢が生じることになった。この事件はボッシュの自宅での銃撃戦で実質的に幕を閉じるが、キズミンは、FBIとともに事情聴取するためボッシュをパーカーセンターに呼び寄せる。ただ、そのようなことがあった後も、キズミンは、ボッシュとの関係を修復し、ふたりは友人であり続けることができた。

2004年4月、「天使と罪の街(The Narrows)」の事件後のことである。キズミンは、退職から3年以内ならば警察学校での再履修を免除するという新たな制度を利用し、ボッシュをLAPDに呼び戻そうとする。RHDに新設される未解決事件班(Open-Unsolved Unit、正式にはCold Case Special Section;CCSS)がボッシュに適していた。かれは、キズミンが同じ班に合流するならOKという条件を付ける。彼女も承諾し、パーカーセンター6階から5階に移動した。キズミンとボッシュはふたたび同じ職場で働き始めたのだが、お気づきのとおり、キズミンの階級はボッシュより上となっている。

ミステリマガジン 2010年 07月号 [雑誌]その後、キズミンはボッシュと共に、解決されずに終わった過去の多くの事件をひもといていく。2005年には、17年前の少女殺人事件を追い、当時の警察上層部の不審な行動をつきとめ、メディアに捜査状況を流すことで隠れた真犯人をあぶり出した(終決者たち; The Closers)。また、シリーズ番外の短編作品、「捜査の切り口(Angle of Investigation)」(ミステリマガジン 2010年7月号所載)では、ボッシュが新米警官だったころの古い事件を解決に導いた。

しかし、どんな事件捜査にも危険は付きものだ。2006年9月の事件で、キズミンは惨事に遭い、自分が必ずしも現場活動に向いていない事実を思い知ることになった。(エコー・パーク; Echo Park) チームは連続殺人者自身を伴って現場捜索を行なうが、その最中にキズミンは逃走しようとする犯人に撃たれ、重傷を負ってしまう。彼女は、犯人が別の刑事から銃を奪ったときに「身がすくみ、凍りついてしまった」ことをボッシュに話す。その後、幸いなことにケガから回復。監察官には自分がクリアな銃撃をできなかったと言い訳する。彼女は仕事に復帰するが、RHDを離れてふたたび本部長室に戻りたいと、ボッシュにうちあけるのだった。

ヘルプ ~心がつなぐストーリー~ [Blu-ray]さて、このあたりで、だれがキズミン(キズ)・ライダーを演じるべきか、という恒例のテーマを考えてみよう。すでに選んだエレノアやレイチェル役もそうだが、実際に映画を撮るためのキャスティングではないので、この際、女優自身の実際年齢は無視していただきたい。筆者は、キズミンが若い刑事から、こののちLAPDの幹部級にのし上がっていくことも考え、実力があり、キャリアとともに貫禄も備えてきた女優、ヴィオラ・デイヴィス(Viola Davis)を推したいと思う。

Photo by Chrisa Hickey - Actors Julius Tennon and Viola Davis at the 81st Academy Awards (2009) / CC BY 3.0
Photo by Chrisa Hickey – Actors Julius Tennon and Viola Davis at the 81st Academy Awards (2009) / CC BY 3.0

彼女は、これまた偶然であるが、2008年の「ダウト – あるカトリック学校で」において、筆者が前の記事でレイチェル・ウォリング役としたエイミー・アダムスと共演し、アカデミー賞助演女優賞にノミネートされている(そのときは同時ノミネートされたエイミー・アダムスが受賞)。その後、2011年の「ヘルプ – 心がつなぐストーリー」でも、黒人メイドのすばらしい演技で同主演女優賞にノミネートされた。また、2010年の演劇作品「Fences」ではトニー賞(演劇主演女優賞)を受賞している。

キズミン(キズ)・ライダー その3につづく

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

天使と罪の街(上) (講談社文庫)天使と罪の街(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

終決者たち(上) (講談社文庫)終決者たち(下) (講談社文庫)

 

 

 

 

エコー・パーク(上) (講談社文庫)エコー・パーク(下) (講談社文庫)

エレノア・ウィッシュ その1

ハリー・ボッシュ・シリーズの登場人物のなかで、もっとも多くの役割をこなし頻繁に露出する女性といえば、たぶんFBI捜査官のレイチェル・ウォリング(Rachel Walling)だろう。しかし、彼女の役をほかの、たとえばFBIの男性捜査官に置き換えることが可能かどうか考えてみると、不可能でないかもしれない。レイチェルの役を男性に担わせるには、作品毎に多少の筋立ての変更が必要になるだろうが、物語の骨格を大きく変えるまでは必要ないと思われる。 すこし前置きが長過ぎた。何が言いたいかというと、この物語を構成する上で、余人をもって替えることのできない主演級の女性はだれかという話だ。それはもちろん、「運命の女性」エレノア・ウィッシュ(Eleanor Wish)をおいてほかにない。

tree-03エレノアは1960年生まれで、ボッシュより10歳年下である。生誕地は明らかにされていない。旧姓はスカルラッティ(Scarletti)なので、素直に推し測ればイタリア系移民の末裔である確率が高いが、調べたところアメリカでは現在、スカルラッティは希少な姓といえそうだ。ボッシュと出会う前の彼女の家族は、父親が国防総省に勤務する職業軍人であったこと、兄マイクル(Michael Scarletti)がボッシュと同じようにベトナムに従軍したことなどが作中で紹介されるが、情報はあまり多くない。余談になるが、コナリーは自分の名前、マイクルを何人かの登場人物に与えている。エレノアの兄も、またボッシュの異母弟マイクル(ミッキー)・ハラーもその一人だ。

作品のなかでコナリーが描き出しているイメージと、読者のあいだの噂などから、エレノアの外見を勝手に想像してみたいが、よろしいだろうか。というのは読者の皆さんはふつう、主人公をはじめとする主な登場人物について、視覚イメージをそれぞれ頭の中でこしらえているものだから、である。筆者も例外でなく、とくにボッシュとエレノアについては、もし俳優を当てはめるなら誰がいちばんピッタリするだろうか、というイメージをシリーズの読み始めの頃から持ってきた。ボッシュについては、作者コナリー自身の想定も含めて、すでにあちこちで希望的キャスティングが表明されたり議論されたりしているようなので、その話題はまた別の機会に譲ることにしたい。

Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942_Partさて、エレノアが「ナイトホークス(The Black Echo)」 に初登場のころ、というと1990年5月、彼女はおよそ30歳のはずである。女性にしては上背のあるほうだが、大女というよりも、捜査官らしくしなやかで敏捷なイメージである。身近な動物にたとえれば、ボッシュがコヨーテであるのに対し、エレノアはネコ科であろうと想像できる。髪はすこしウェーブのかかったブラウンに、ブロンドのハイライトが混じっており、そのころのスタイルは肩までのセミ・ロングだった。肌の色は現場捜査官という職業柄とラテン系のなごりから、いくらか日に焼けた濃い色の感じで、瞳はほぼ黒色。――彼女はそのような容貌の、ただ美しいからだけでなく、人を引きつける何かを持った女性捜査官として、ボッシュの眼に映ったであろう。

運命の女 [Blu-ray]コナリーが造形したエレノアを100%以上、体現する女優はきっとどこか存在するのかも知れないが、筆者は特別な理由もなく初めから、ダイアン・レイン(Diane Lane)のイメージを持ってきた。1984年の「ストリート・オブ・ファイヤー(Streets of Fire)」という人気映画でヒロインのロック歌手を演じ、歌は吹き替えで間に合わせながらも、女優として成功した。その後、いろいろな映画に出演し、2002年の「運命の女(Unfaithful)」でアカデミー主演女優賞にノミネートされている。内容がまったく異なる作品同士であるものの、そのタイトルが(邦題ながら)、ハリー・ボッシュにとっての「運命の女性」と偶然にも一致した。あくまで個人的解釈に過ぎないのだが、エレノアはダイアン・レインに限るという勝手な思いを筆者はいっそう強くした。

エレノア・ウィッシュ その2 につづく。

エレノア・ウィッシュ その2

エレノア・ウィッシュは一度結婚し、ボッシュと出会う何年か前に離婚していたとされる。彼女は離婚後も、旧姓のスカルラッティ(Scarletti)に戻らず、元夫の姓(Wish)を名乗り続けた。その理由の一端は「ナイトホークス」で明らかになるが、ここでは物語の進行に関係があるとだけ述べておこう。

Wall near Beaver Stadium, The Pennsylvania State University
Wall near Beaver Stadium, The Pennsylvania State University

エレノアがFBIで法執行官に就くことを決めたのは、職業軍人だった父親の影響かもしれない。彼女はペンシルベニア州立大学で刑事司法を主専攻、会計を副専攻として学び、卒業後FBIに入局する。金融業務などに絡む知的犯罪については予備知識があったであろう。FBIではエージェントとして、ワシントンDCのホワイトカラー犯罪ユニットから順調にキャリアをスタートさせるのだが、そこに長居することはなかった。

エレノアはある秘めた目的から、LAの銀行強盗・誘拐ユニットへの異動を希望し、それを実現するのである。ここから先は物語の核心に近づき過ぎてしまうので、「ナイトホークス」を読んでいただくしかない。ただ、これだけは言えるのだが、果敢に行動することを厭わない、悪く言えば向こう見ずな彼女の性格がそこによく表れていることは確かだ。そんなエレノアの性格はどこかボッシュと共通しており、したがって互いに引きつけあうこともあれば、また逆に、磁石の同極のように反発し合うことがあるかも知れない。

Jacaranda tree
Jacaranda tree

エレノアはLAに移ってきた。彼女はビーチに近い、外にジャカランダの木があるサンタモニカのタウンハウスに住み、そこからウェストウッドの連邦ビルは近くて通勤が容易だった。エレノアがその家に初めてボッシュを誘ったとき、ふたりともジャズ愛好家であることを知る。そして、カウチの上に飾られた一枚の絵(複製画)がボッシュの眼を奪う。エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の「ナイトホークス(夜ふかしをする人たち; Nighthawks)」だった。エレノアは、その絵のオリジナルをシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)で見たとかれが話すのを聞く。

エレノアとボッシュは、ふたりともその絵に強い印象を抱いていることを知り、精神的なつながりを感じるのだった。ボッシュは、絵のなかの一人で座っている男を自らと同一視していた。自分こそ「孤独な夜の鷹=ナイトホークス」であると。そして、エレノアもまた、自分を一人の孤独な人物になぞらえていた。ふたりはより親密になることで、絵のなかの男女のカップルに変化するのかも知れなかったが、その絵のカップルにしてもどことなくよそよそしさが残っており、孤独の影があとかたもなく消え去っているわけではない。(「ナイト・ホークス by Edward Hopper」を参照)

Nighthawks, Edward Hopper
Nighthawks, Edward Hopper

事件の捜査を一緒に進めながら、エレノアが上手な聞き役として、ボッシュにさまざまな問いかけを発し、ボッシュが応えることを繰り返す。すると、会話の中身が濃くなるにつれ、はじめにボッシュ、やがてエレノア自身の個人的な物語が少しづつ明らかになっていくのである。たとえば、エレノアが事件の渦中で重要な役割をもつある少年について、ボッシュに問いかける場面がある。「あなた、あの子のこと気にいっているでしょ。あの子に接する態度を見ていてそう思う。自分の姿を見ているようなところがあるのね?」

出会ってから触れ合いを重ねるうちに、ふたりは互いに「自分と同じような魂を持っている」と気づくまでになるが、まだ、波乱万丈の一幕が降りようとしていたに過ぎない。エレノアは捜査中の犯罪における彼女自身の目的と役割について、すべてを語ってはいなかった。彼女は、ボッシュにうながされるかたちで物語に決着をつけ、そのとき、エドワード・ホッパーの複製画をボッシュに託すのだった。

エレノア・ウィッシュ その3 につづく。

エレノア・ウィッシュ その3

エレノア・ウィッシュは「ナイトホークス」における事件決着の結果、ラスヴェガスのカリフォルニア女性刑務所(the California Institution for Women)に収監されるが、そこである受刑者仲間から、新たに生計を立てるためのきっかけを与えられる。

Photo by Jacoplane - View of the Mirage from the Venetian (2008) / CC BY 2.0
Photo by Jacoplane – View of the Mirage from the Venetian (2008) / CC BY 2.0

釈放されてまもなく、エレノアは仲間の叔父という人物の支援を得、ラスヴェガスでプロのポーカープレーヤーとして再スタートする。公職を追放された身とはいえ、凡人から見れば、なんとも大胆としか言いようのないキャリア・チェンジをスパッと実行してしまう彼女に、唖然とするか、羨望を覚えるかは読者しだいである。

the Flamingo
the Flamingo

しかし考えてみれば、思い切りのよい性格に加えて、もともと頭がよく、ひとを引きつけるのに十分な美貌があり、刑事司法と会計と犯罪捜査にくわしいエレノアのような女性ならば、裏の世界と何らかのつながりを持つカジノにはうってつけの人材と言えなくもない。彼女は、安い家具付きアパートに住みながら、ミラージュ(the Mirage)、フラミンゴ(Flamingo)、ハラーズ(Harrah’s)といった有力カジノのテーブルを回るようになった。

Harrah's
Harrah’s

エレノアは仕事を世話してくれた男に週200ドルのショバ代を支払い、また時折、上の方から依頼のあるときに、カジノに出入りする様々な人物の監視を行うようなこともあった。彼女はのちに、上の方とはシカゴの組織幹部、ジョセフ・マルコーニ(Giuseppe Marconi = “Joseph Marconi” = “Joey Marks”)のことであり、そこからカジノの資金が出ていることを知る。(トランク・ミュージック; Trunk Music

1996年6月、エレノアのテーブルについたある客がその数日後にLAで殺害されるという事件が起こった。このことから、彼女はフラミンゴで思いがけずハリー・ボッシュに再会し、そこではじめて「運命の女性」とよばれる立場が不動のものとなる。ふたりにとっても、また読者にとっても、ロマンチックで運命的な絆を感じさせる筋立てに異論があろうはずはない。ただ、LAPDの刑事とラスヴェガスのギャンブラーが、管轄が異なるとはいえ隣接した地域で活動していれば、かなりの確率で起こり得る偶然だったという気もする。つまりそういう意味で、コナリーのプロットはむしろ自然であり、飛躍を感じさせるものではない。

LA_usa-1061845_960_720-02そのあと、物語は加速する。ふたりで飲み交わした翌日、エレノアは世話してくれた男との関わりから警察に拘留されるが、ボッシュの手配で釈放される。さらにその夜、こんどは組織の隠れ家に拉致されてしまうのだが、2日後にはボッシュによって救い出される。事件が解決に向かうなか、エレノアはウッドロー・ウィルソン・ドライブのボッシュの自宅に泊まることとなり、彼女の生活拠点はその時点で、ラスヴェガスからLAに移った。

ふたりは再会からわずか数日後の6月13日に結婚する。ふたりが一緒に望んで出した結論であろう。だが、結婚のインパクトは、エレノアよりもボッシュのほうにより必要だった。彼女はボッシュに安息の場を与えた。またボッシュには、細かな経緯を省くが、この結婚で天敵のような内務監査課(IAD)の追求を消し去る効果もあった。しかし、エレノアのほうは、この結婚でほんとうにボッシュほどに満たされたのだろうか、あるいはそれ以前に、そもそも満たされる必要があったのだろうか、という疑問がある。

Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942_Partさて、数年前の別れに際して、エレノアからボッシュに託されたエドワード・ホッパーの絵は、その後の地震で失われるのだが、エレノアはラスヴェガスの家にもう一枚をしっかりキープしており、結婚後、ボッシュの家に(ふたりの家と言いたいところだが)飾られることになった。この絵は確かに「ふたりの心のつながりを象徴するもの」(岩田清美氏による解説)である。ただ、エレノアの自立した魂は、ときおり無性につながりを求めるが、ふたたび孤独に戻ることを恐れておらず、感傷を寄せつけない。その点はボッシュ以上だ。

彼らは新婚旅行をハワイで過ごすのだが、そこから未来につづく幸福のイメージは溢れ出てこない。ビーチで事件の重要参考人を見かけ、何もせずに見逃すというシニカルなエピソードが強いて語られている。読者は、不安に似た一抹の感情を抱きつつ、今回も物語の一幕が降りるのをただ見ているほかないのだろう。

エレノア・ウィッシュ その4 につづく。