今回は、ジャズやスタンダードでなく、ヒップホップの特別篇となりそうだ。ハリー・ボッシュにはフランク・モーガンの《ララバイ》というテーマ曲があるが、この記事で最後に紹介する《LAで生きて死んでいく(To Live & Die in L.A.)》こそ、忘れてならないもう一人のヒーロー、マイクル(ミッキー)ハラーのテーマ曲である。
「リンカーン弁護士(The Lincoln Lawyer)」で鮮烈に初登場したハラーは、ボッシュの15歳下の異母弟である。ふたりにはヒーローとしての共通点もあるが、生まれ育った環境、バックグラウンドが全く異なるため、テーマとなる音楽も当然違ったものになる。ボッシュにとってそれはジャズだが、ハラーの場合はヒップホップである。
冒頭近くのある場面、ハラーが自分のリンカーンの黒人運転手に「いま聴いていたのはだれだい?」と曲をたずねる場面から始まる。それはスリー6マフィア(Three Six Mafia; メンフィスを拠点とする南部のヒップホップグループ)だった。「ここ何年かで、ラップとヒップホップの微妙な違い、地域性やその他の相違を知るようになっていた。総じて、わたしの依頼人の大半がその手の音楽に耳を傾けており、そこから人生の指針をひっぱりだしているものがおおぜいいた」 ハラーは、顧客をよく知ろうとする態度から、ヒップホップと必然的に親しくなったのである。
ハラーとある依頼人とのエピソードが詳しく語られている。「永年にわたる多くの拘置所での面談で、マギンリー(依頼人)が伝説のラッパー、トゥパック・シャクール(Tupac Shakur; 2PAC)の生と死とラップミュージックにインスパイアされた人生観を抱いていることを知った。2パックはマギンリーが住み処と呼んでいる荒れ果てたストリートの希望と絶望をラップのライムに乗せて運んでくれるギャング詩人(サグ; thug)だった。2パックはおのれの暴力的な死を正しく予言していた。(中略)マギンリーは”サグ・マンション”、すなわちあらゆるギャングが最終的にいきつく天国と現世の中間にある場所という最終目的地を信じている、おおぜいの依頼人のひとりにすぎなかった・・・」 ―― Tupac Shakur (2PAC), “thugz mansion” in ” Better Dayz”(CD)
ハラーがふたたび運転手に曲をたずねるシーン。「・・・『なあ、iPodでだれを聴いていたんだ?少し聞こえてきたんだ』 『スヌープさ。でかい音で聴かないとだめなんだ』 わたしはうなずいた。ロス出身の歌手だ。そして殺人容疑を受けて司法機械と立ち向かい、逃げおおせた元被告だ。ストリートの連中を感動させるのに、これほどいい話はない」 ―― Snoop Dog, “Doggystyle”(CD)
ハラーは元妻で検察官のマギーと、別れたあとも良好な関係を保っていた。マギーはハラーの車に同乗し、運転手が聴いているCDの一枚を見つける。それはダーティ・サウス出身のパフォーマー、リュダクリスのCDだった。「・・・『こんなものを聴いてるの?』(中略)『リュダクリスはおれの好きなタイプじゃないな。古いタイプのほうがもっと好きだ。2パックとか、ドクター・ドレ―とか、そんな連中のが』 マギーはわたしが冗談を言ってるのだと思って、笑い声をあげた」 ―― Ludacris; “Word of Mouf”(CD), Dr. Dre; “2001”(CD)
その数週間後、気に入っている2パックをマギーに聴かせる機会が、ハラーに訪れる。そのCDは、非業の死を遂げたある依頼人が自分で焼いたバラード集で、自分が死んだらかけてくれ、と言ってハラーに託されたものだった。「・・・すぐに《死者に神の祝福を》のリズミックなビートが奏でられはじめた。その歌は斃れた同志たちに対する別れの挨拶だった」 ―― Tupac Shakur (2PAC), “God Bless The Dead” in “Greatest Hits”(CD)
マギーは不審な面持ちで、その曲や歌い手に対しあからさまに否定的な反応を示すが、ハラーは「彼らの多くが言いたいことを持っている。なかには本物の詩人がいるし・・・」と静かに擁護し、マギーに忍耐を促す。マギーはぎこちなく座っていた。「彼女が歌詞を聴き取ろうとしているのがわかった。こういう曲には耳を慣らす必要があり、それにはしばらく時間がかかる。つぎの曲は《ライフ・ゴーズ・オン》だった。いくつかの単語を聴き取って、マギーの首と肩が強ばるのが見てとれた」 ―― Tupac Shakur (2PAC), “Life Goes On” in “Greatest Hits”(CD)
ハラーはふたりの微妙な関係について心のうちを明かし、マギーに何かを期待する・・・ 「つぎの曲は、《ソー・メニー・ティアズ》だった。それも死んでいった者全員に対するバラードだった。この場にふさわしい感じがした」 ―― Tupac Shakur (2PAC), “So Many Tears” in “Greatest Hits”(CD)
元妻で共に法律家、そして生涯でだれよりも愛した女性であるマギーを相手に、ハラーの独白が終わろうとしている。「最後の曲は《LAで生きて死んでいく》だった。その自家製CDに入っている曲のなかで、わたしのお気に入りだった。わたしはそっと口ずさみ、やがてサビの部分がやって来ると、いっしょに声をだして歌った。
LAで生きて死んでいく
そこしか居場所がない
そこにいりゃいやでもそれがわかる
みんな見たがっているのさ 」
―― Tupac Shakur (2PAC), “To Live & Die in L.A.” in “Greatest Hits”(CD)