ボッシュ・シリーズと音楽 その13

リンカーン弁護士」(2005年)、「エコー・パーク」(2006年)あたりまでは、どの作品でもふんだんに音楽を使っていたコナリーだが、ややマンネリの兆候を感じたものか、その後は音楽の挿入が減っている。この時期は、ハリー・ボッシュの物語が成熟化するとともに、シリーズからスピンオフした新たなヒーローが躍動した時期でもある。こうした傾向の、それまでに較べて一作あたりの音楽が少ない、近年の3作品から一気に紹介したい。

ロッシーニ:序曲集まず、「真鍮の評決 リンカーン弁護士(The Brass Verdict)」から。本作は2007年11月のエピソードを描いている。同年6月には初代iPhoneが発売されているが、主人公ハラーはまだ携帯を使っている。「・・・《ウィリアム・テル序曲》の電子音楽が手の中で鳴りだした。下を向いて、電話を見る。画面には”非通知”と出ていた・・・」 ―― Gioacchino Rossini, “William Tell Overture” in “Rossini: Overtures”(CD)

本作ではハリー・ボッシュとミッキー・ハラーが初めて出会い、タッグを組んで難解な事件や裁判に取り組む。ふたりが仕事柄でなく、音楽を通じて交流する愉快なシーンがある。ボッシュのiPodを見て、ハラーがだれを聴いているのかと訊ねる。 ボッシュは、「きみが聴いたことのないはずの人間さ。(中略)フランク・モーガン」と応えると、「サックスプレーヤーの? そうか、フランクとは知り合いだ」とハラーが言うので、意外な成り行きに驚くボッシュ。

「フランクが〈カタリーナ〉や〈ジャズ・ベイカリー〉で演奏していたころ、よく店に立ち寄って、挨拶していたよ。父がジャズが好きで、50年代と60年代にはフランクの顧問弁護士をしていた。フランクは麻薬常習をやめるまで、山ほどのトラブルを抱えていた。ついには、収容されていたサンフランシスコのサンクェンティン刑務所でアート・ペッパーと共演する羽目になったほどだ。ペッパーは聴いたことあるだろ? わたしがフランクと会ったころには、刑事弁護士の手を借りる必要はなくなっていた。品行方正そのものだったよ」

ボッシュはこのやりとりから、気を取り直すまで少し時間を要するほど驚かされたのだった。ボッシュの思いが、手に取るようにわかる。ハラーの父親がジャズ好きだって?! 本作のラスト近くで明かされるボッシュとハラーの絆について、これも一つの伏線となっている。後日、挨拶代わりにハラーがふたたび訊ねる・・・ 「またフランク・モーガンかい?」 「ちがうね、ロン・カーターだ・・・」

R.コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」ハラーの次の主役作品、「判決破棄 リンカーン弁護士(The Reversal)」で使われる音楽は、ハラーが公判について語る次の一節だけ、といささかさみしい。「わたしは、リムスキー=コルサコフの交響組曲《シェヘラザード》の展開のように、立証を計画していた。ゆっくりと静かにはじまり、音量と音楽と感情の包括的なクレッシェンドまで高まっていく」 ―― Nikolai Rimsky-Korsakov, “Scheherazade” in “Scheherazade”(CD) performed by Charles Dutoit / Montreal Symphony Orchestra

記者ジャック・マカヴォイが活躍する「スケアクロウ(The Scarecrow)」では、はじめから犯人が明かされる。天才ハッカーで殺人者とおぼしき男が、暗い車の中からターゲットを監視している。ドアーズのジム・モリソンが歌う《チェンジリング》が男のテーマ曲であり、それを聴きながら男は遠い過去の夢想に浸っていく。

I’m a Changeling
See me change
I’m a Changelin’
See me change

L.A. Woman (40th Anniversary Edition) (2CD)「・・・舞台は眩い白光に包まれていた。そのとき、ウェスリー(少年期の男)は彼女を見た。男たちのまえに裸でいた・・・」そのとき、曲は《ライダーズ・オン・ザ・ストーム》に替わっている。回想に登場した女は、男の母親であり、《LAウーマン》の芸名を持つストリップ・ダンサーであった。 ―― The Doors, “The Changeling” and “Riders On The Storm” in “L.A.Woman”(CD)

そのあと、《ライダーズ・オン・ザ・ストーム》から、男がお気に入りの2行を、繰り返し、不気味にハミングするシーンも出てくる。この2行だ。

There’s a killer on the road
His brain is squirmin’ like a toad

ハートに火をつけて(50thアニヴァーサリー・デラックス・ジャパニーズ・エディション)<SHM-CD>男は自分が本拠とする施設でマカヴォイや捜査官らを罠にかけ、全員を死に至らしめるシステムを作動させた・・・「終わった。これが終わりだ」・・・しかし、そのあと事態は急転直下する。男は銃弾に打ち抜かれ、ドアーズの《ジ・エンド》の一節だけが、男のごく微かな意識の中で鳴りつづける。 「・・・それでも音楽は残っており、(中略)それを聞き、いっしょに口ずさもうとしたが、声が出ない・・・」

This is the end, beautiful friend ……
This is the end, ……

―― The Doors, “The End” in ” The Doors”(CD)

ワン・モア・カー、ワン・モア・ライダー~ベスト・ライヴやや蛇足になるが、同作ではサイド・ストーリーの中でもう一曲使われている。薬物依存者の支援に努めていたエリック・クラプトンが、かれの設立した施設を紹介するテレビ番組に、《虹の彼方に》のコンサート映像を提供していたというものだ。 ―― Eric Clapton, “Somewhere Over The Rainbow” in “One More Car One More Rider”(CD)

ボッシュ・シリーズと音楽 その14 につづく。

 

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。