ボッシュ・シリーズと音楽 その17

ブラックボックス(下) (講談社文庫)ブラックボックス(上) (講談社文庫)前作「転落の街 (The Drop)」から再び2年が経過した。「ブラックボックス (The Black Box)」でハリー・ボッシュは62歳となり、その誕生日を、ひとり娘マディがこころづくしの料理とプレゼント、演出で祝うという感動的な場面が淡々と描かれている。作者コナリーとすれば、プロットに関係してもしなくても、そんなことはどうでも良いという方針で挿入しているエピソードであり、筆者もまた、子を持つ親の心境を知るもの同士として作者に同調したい気分である。

ボッシュが帰宅すると「娘は父親のお気に入りのCD5枚をすでにステレオのトレイに載せていた。フランク・モーガンとジョージ・ケーブルズ、アート・ペッパー、ロン・カーター、セロニアス・モンク。・・・」 作中ではこららの内、ケーブルズの「ヘレンの歌 (Helen’s Song)」が紹介されるのみだが、マディの用意したCDのラインアップは一例として、おそらく次のようなものではなかったか。

– Frank Morgan, “Mood Indigo”(CD)
– George Cables, “Helen’s Song” in “Cables Fables”(CD)
– Art Pepper, “Art Pepper Meets The Rhythm Section”(CD)
– Ron Carter, “Dear Miles”(CD)
– Thelonious Monk “Thelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall”(CD)

Mood IndigoCables FablesMeets the Rhythm SectionDear MilesThelonious Monk Quartet with John Coltrane at Carnegie Hall

 

 

マディから贈られた1つめのプレゼント(ネクタイ)を見て感嘆の声を上げ、娘をほほ笑ませたボッシュが2つめの包装をほどくと「6枚入りケースに入ったCDが現れた。最近リリースされたアート・ペッパーのライブ録音コレクションだった ・・・」

「アー卜の未亡人がリリースさせたの」
「こんなものが出ていたとは、初耳だ」
「彼女は自分のレーベルを持っているんだよ ―― 〈未亡人の趣味 (Widow’s Taste)〉だって」
ボッシュは複数のCDが入っているケースに目を通した。たくさんの曲が入っていた。
「聴いていいかな?」

さて、この6枚組セットについては実際の商品がなかなか見つからないため、 “Widow’s Taste”レーベルの”Unreleased Art”(未発表アート)シリーズの中から6枚だけチョイスしたものを想像するしかないが、筆者はVol.1~Vol. 3とVol. 4 (もともと3枚組)を合わせたもの、あるいは、Vol.1~Vol. 3とVol.5~Vol. 7を合わせたもの(より嬉しい組み合わせはこちらか?)だろうと勝手に推理している。なお、マディが最初にセットした5枚の内1枚のペッパーは、ボッシュが前から所有し愛聴していたもので、”Unreleased Art”シリーズではあり得ないと思う。

– Vol. 1 – Complete Abashiri Concert – Nov 22, 1981
– Vol. 2 – Last Concert, May 30 ’82 – Kool Jazz Fest
– Vol. 3 – the Croydon Concert – May 14, 1981

Vol. 1-Art Pepper: Unreleased ArtVol. 2-Unreleased Art: the Last ConcertVol. 3-Unreleased Art

 

 

 

 

– Vol. 4 – Unreleased Art, Vol. 4 (The Art History; 3CDs Box set)

Art History Project

– Vol. 5 – Suttgart – May 25, 1981
– Vol. 6 – Complete Live at Ronnie Scott, London 1980
– Vol. 7 – Sankei Hall – Osaka, Japan – Nov 18, 1980

Unreleased Art Vol. 5: StuttgartVol. 6-Blues for the Fisherman: Unreleased Art PepVol. 7-Unreleased Art Pepper

 

 

 

 

Vol. 8 – Live at the Winery, September 6, 1976
Vol. 9 – Live at Donte’s, April 26, 1974

Art Pepper: Unreleased Art VIIIUnreleased Art Vol.9: Art Pepper & Warne Marsh At Donte's: April 26, 1974

 

 

 

 

Photo by Jim Linwood – Fairfield Halls in Croydon, London (2011) /CC BY 2.0

その数日後、ボッシュは贈られたCDの3枚目(上記の”Vol.3″) ― 1981年にロンドンのクロイドンにあるフェアフィールド・ホール(Fairfield Halls)で行なわれたライブ演奏から、「パトリシア (Patricia)」を聴いている。ボッシュは、その「この世のものならぬ」サクソフォンの音色にしばし心を打たれ、曲の由来について娘マディに話しかける・・・

「これは娘のことなんだ」ボッシュは言った。
マデリンが本越しに父親を見た。
「どういう意味?」
「この曲さ。『パトリシア』。アートは、娘のためにこの曲を書いたんだ。娘の人生の長い期間、アートは彼女から離れていたんだが、娘を愛しており、娘と会えないのを悲しんでいた。それがこの曲から聞こえるとは思わないか?」
マデリンは少し考えてから、うなずいた。
「そうだね。サクソフォンが泣いているみたいに聞こえる」
ボッシュはうなずき返した。

Straight Life: The Story Of Art Pepperボッシュのジャズに対する愛情はご承知の通りだが、とくにペッパーに対しては、音楽以外の要素を含めて尋常ならざる思いを抱き続けている。その一端がここにもよく描かれており、かれの心中において自分たちとペッパー父娘が二重写しとなっている。ボッシュは、かつてまだ娘マディの存在を知らない頃にも、ペッパーへの思いをある友人に語っているのだが、その中にはたとえば、母親がペッパーの出演するジャズクラブに出入りし、ペッパーのレコードを何枚も所有していたこと、また、少年のボッシュ自身、ペッパーが自分の父親かも知れないと空想していたことや、後年ペッパーの自伝(ストレート・ライフ; Straight Life)を読んだことなどが含まれていた(「ボッシュ・シリーズと音楽 その7」参照)。 本作「ブラックボックス」では、その自伝についても、かれが「最初から最後まで読んだ最後の本」として再び紹介されている。

さて、ここまですでに、アート・ペッパーを中心とする盛りだくさんの音楽で溢れ返ってしまったため、積み残しについては、次回にご紹介ということでお許しいただきたい。

ボッシュ・シリーズと音楽 その18 につづく。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。