1999年4月、LAのバンカーヒル(Bunker Hill)にあるケーブルカー「エンジェルズ・フライト」(Angeles Flight funicular railway)の頂上駅で2体の惨殺死体が発見された。ボッシュは、幼いときに母親とこのケーブルカーに乗った記憶がある。
この事件の被害者の一人がLAPD相手の人権訴訟を専門とする黒人弁護士だったことから、メディアは警察の犯行を疑う。市民から支持を得ていた彼の死は、またしても暴動の引き金となりかねない。ボッシュは部下を率いて捜査にあたるが、自分たちの捜査の行方が街の不穏な空気に影響を与えるというプレッシャーがのしかかる。ロドニー・キング事件に由来する1992年のロサンジェルス暴動以来、LAPDはトラウマに囚われていた。(ロサンジェルス暴動について詳しくは、こちらも)
この事件では、かつての相俸や仇敵などの過去に登場した様々な人物が、それぞれの思惑を胸にふたたびボッシュと邂逅し、複雑に絡み合っていく。ボッシュはうまく彼らと向き合い、錯綜する事件を解決に導くことができるのだろうか。本作は、警察小説としてもコナリーが頂点に達したとされる傑作となった。
「エンジェルズ・フライト」という名辞については、渡辺武信氏による含蓄の深い解説を紹介したい。
「・・・殺される著名な黒人弁護士は黒人たちから天使(エンジェル)と呼ばれている一方、Flightには『飛朔』『登り階段』ばかりではなく、『敗走』『逃走』という意味もあるからだ。つまり深読みすれば、原題は『天使になった者の敗北』でもある。さらに、このタイトルは殺された少女の魂が天に飛び立つ姿を示すとともに、最後に明かされる犯人(堕天使)が地獄へと飛んでいく姿をも表しており、二重三重の象徴性が巧みに織り込まれているのである」
またコナリー自身による次のコメントも興味深い。「シリーズ6作目となる『エンジェルズ・フライト』で、ハリーは紙マッチをひらいて内蓋に印刷してあるおみくじの言葉を見つける。そこにはこう記してある。”幸福は自らのなかに慰みを見いだす者のものである”――ボッシュにとって、これがきたるべき事態の暗示となる。自分の使命を追うと同時に慰みを求め、それをたえず自分のなかに見いだそうとする。こうして彼の伝記は進行中となる」(「ヒエロニムス・ボッシュ」マイクル・コナリー(三角和代訳)ミステリマガジン2010年7月号より)
ただ、まことに残念なことであるが、この3年前にせっかく再会・結婚へとたどり着いた、エレノア・ウイツシュとの生活は、本作の事件と並行して破局を迎えてしまうのであった。人と出会い、別れていくときの、ボッシュの苦い思いが深く沁みわたる。
なお、本作にはこんなオチャメな楽屋落ちも挿入されている。「横の仕切りは、映画宣伝の看板用に使われていた。その一枚に、『わが心臓の痛み』という題名のクリント・イーストウッド監督作品の宣伝が描かれていた。その映画はボッシュも知り合いの元FBI捜査官に関する実話に基づいたものだった」(本文より)
本作は、プレミオ・パンカレッラ賞(イタリア)、2001年度ドイツ・ミステリ大賞翻訳作品部門賞(第2位)を受賞した。