暗く聖なる夜 Lost Light

bokeh-1131509_960_720-22002年10月、LAPDを退職し私立探偵となったボッシュは、銃弾に倒れ車椅子の生活を送る元同僚からの電話を受ける。それは、ある若い女性の殺人と、その捜査中に目の前で奪われた200万ドル強奪という、ボッシュにとって悔いの残る未解決事件についてだった。ボッシュはそこに自分の使命を見出し、独自に事件の調査を始める。

ボッシュは、それらの事件とFBl捜査官の失踪にも関連があることに気づくが、LAPDとFBIの双方から手を引くようにとの警告を受ける。背後には予想を超える大きな動きが隠されていた。ボッシュは私立探偵という孤高の姿勢で、いくつもの要素が絡み合った超難解な事件の謎に迫っていく。コナリーは本作で一人称表現を採用し、ボッシュの新たな立場を見事に浮かび上がらせている。

パウンド詩集 (海外詩文庫)「心に刻まれたものはけっして消えない(There is no end of things in the heart.)」という冒頭のフレーズは、エズラ・パウンド(Ezra Pound)の詩集”Cathay”の一篇、「追放者の手紙(Exile’s Letter)」からの引用である。元詩は李白の「憶舊遊寄譙郡元參軍」の中の、「情亦不可極」(情も亦た極む可からず)を訳したもの。いうまでもなく、パウンドはエリオットと並んで、20世紀初頭のアメリカ詩壇を代表する一人である。

この素晴らしき世界原題の”Lost Light”は「迷い光」と訳され、本作のラスト近くでその意味が明かされる。邦題の「暗く聖なる夜; The Dark Sacred Night」はもちろん、ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界 (What a Wonderful World)」からとられたが、作中のある重要なシーンで切々と歌われる。読者も思わず口ずさんでしまうだろう。音楽ネタのついでに、今回ジャズ好きのボッシュは、サックスを習い始めていて何ともほほえましい。

I see skies of blue and clouds of white
The bright blessed day, the dark sacred night
And I think to myself what a wonderful world.

さて、本作のラストでボッシュは、52歳にして人生最大のサプライズに出会う。3年前に、「エンジェルズ・フライト」で別離したエレノア・ウイツシュは、そのとき妊娠していることをボッシュに告げていなかった。本作でボッシュは、エレノア、そして娘のマディ(マデリン; Madeline “Maddie” Bosch)に出会う。マディの存在が人間ハリー・ボッシュを劇的に変える。かれは遂に「救われる」のである。

child-489685_960_720-2「『暗く聖なる夜』で、ハリーは生涯最大の驚きに出くわす。自分に子どもがいることを知り、はじめて娘のマデリンと出会う。(中略) 娘と目を合わせたとき、一瞬で(1ページで)これらすべてがいきなり変わってしまった。ハリーはおのれが影響を及ぼされうる人間であることを突然悟ったのだ」(「わたしが『ナイン・ドラゴンズ』を書いた理由」マイクル・コナリー;古谷嘉通訳 より)

本作は、ファルコン賞を受賞し、ロサンジェルス・タイムズが選ぶ2003年度ベストブックの一冊に選ばれた。また、デビュー(新人賞受賞)後10年の節目にあって、2004年度エドガー賞長編賞の受賞を本命視されていたが、作者コナリー自身が主催のMWA会長職の立場にあったことを理由にノミネートを辞退している。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。