ブラックボックス The Black Box その1

2,000 California Army National Guardsmen patrolled the city to enforce the law in the 1992 Los Angeles riots.

2012年、ハリー・ボッシュのいるRHDの未解決事件班(the Open-Unsolved Unit)は、1992年のロサンジェルス暴動20周年の一環として、その時からの未解決殺人事件をすべて再調査するよう命じられる。ボッシュには当時、状況のせいで十分な捜査を行うことができず長い間心中でやましさを感じていた一つの事件があったが、20年が経ち、ようやく再捜査のチャンスが訪れたのである。混乱の最中に射殺された犠牲者はひとりの外国人女性で、ボッシュは彼女を白雪姫(Snow White)として記憶していた。なお、原著が出版されたのは描かれた事件とリアルタイムの2012年であり、コナリーの処女作出版(ナイトホークス; The Black Echo, 1992)からも数えて20周年にあたる。(ロサンジェルス暴動については「ボッシュの履歴書(3)」を参照)

M9 pistol, a military spec Beretta 92FS

ボッシュは、飛行機の墜落を調べる調査官のように、事件の核心に近づくための「ブラックボックス」を探し、事件現場で回収された9mmの薬莢が一つの突破口になり得ると考える。その検証技術やデータベースは20年の間に進化しており、薬莢は2件の殺人事件で使用された”ベレッタ92”の発射痕と一致した。その事実は、犠牲者の死が、暴動下で偶然もたらされた暴力によってではなく、何らかの背景や計画性をもった故意による死という可能性を示しており、ボッシュの長年抱き続けた疑問に一つの確証を与えるものだった。ここからのボッシュは、「犠牲者を代弁して、復讐を遂げずにはおかない」あのハリー・ボッシュが健在であることを読者に誇示しながら、一歩また一歩と容疑者に迫っていくのである。

リーサル・ウェポン2 炎の約束 [Blu-ray]ダイ・ハード [Blu-ray]ハリー・ボッシュシリーズではふつう、銃器に関するマニアックな記述はほとんど現れないのだが、本作に限っては、凶器となった拳銃が題材の一つになっている。”ベレッタ92”(the Beretta 92)は、アメリカ軍(やその他多くの軍隊)の制式拳銃であり、法執行機関でも制式採用しているところが多いことから、警察や犯罪ジャンルの小説・映画によく登場することでも知られている。たとえば、「ダイ・ハード」シリーズのジョン・マクレーン警部補(ブルース・ウィリス)や、「リーサル・ウェポン」シリーズのマーティン・リッグス刑事(メル・ギブソン)が持っていた拳銃もベレッタ92である。つまり、このモデルは膨大な数が世界中に流通し、使われた犯罪件数も膨大という背景があり、本作に出てくるような弾道照合が捜査手段としていかに有効かということが理解できる。また、本作では、その他の科学的な捜査技術や、パートナーのディヴィッド・チューがやってみせる、素人にもできそうなネット捜査等についても面白く読めるだろう。

本作における興味深いもう一つの特徴は、犠牲者のプロフィールである。彼女は、デンマークの実在する日刊紙ベアリンスケ・ティズネ(Berlingske Tidende)に記事と写真を提供するフリーランスのフォトジャーナリストであり、専門とする分野は世界各地で起こっている戦争や紛争であった。ボッシュは、ベトナムに出征した経験から戦争特派員にある種の親近感を持っていたが、捜査の過程で調べることになった彼女の言葉や写真は、ボッシュの心に直接何かを訴えかけてくる。それによってボッシュは「彼女からすべてを奪っていった者を見つけ」ようと、一層強く決心するのだった。

The MS Golden Iris, formerly Rhapsody or Cunard Princess (“Saudi Princess” in this book)

ボッシュらが犠牲者の直前行動を追うと、彼女は前年に、イラクにおける「砂漠の嵐」作戦(Operation Desert Storm)を取材するため”サウジプリンセス”(Saudi Princess)という客船を訪れていた。これは当時実在した船でバーレーンに係留され、湾岸戦争下で米軍のレクリエーション施設として使われたことが知られている。その後の彼女は、1992年の春頃に米軍駐屯地のあるドイツを訪れ、その足でアメリカに入国して各地を巡った後でロサンジェルス暴動に遭遇したことが判明するのだが、彼女の重要な持ち物であるはずのカメラやメモなど一切の記録が失われていた。

Berlingske Tidende,
Copenhagen, Denmark

ここで読者は、犠牲者がなぜ北欧出身でなければならなかったか、という疑問を持つかも知れない。筆者の考える理由は、作者コナリーが(失礼ながら)”Snow White”のネーミングに見られる通り意外にロマンティストであることを除けば、ある登場人物が作中で述べる「ほんもののブロンド(女性)」という一つの言葉にヒントがある、とだけお伝えしておこう。なお、ベアリンスケ・ティズネ(Berlingske Tidende)は1749年にコペンハーゲンで創立された”世界最古の新聞”の一つであり、多くの賞を受賞した由緒正しい新聞社であることから、そこに元記者であるコナリーの敬意が感じられないこともない。現在は単に”Berlingske”と名前を変えており、また”BT”という似た名前のタブロイド紙も別にある(ささいなことだが、本作では両紙がやや混同されている気もする)。

本作の犠牲者が北欧人である必然性は別として、「白人」であることには若干の意味がある。LAPDとしては、メディアから暴動20周年の報道取材を受けるにあたって、当時の未解決事件は(犠牲者の人種等で選別されるといったこともなく)専任班によって適切に捜査されている、と発表したい意向があった。そのため、ボッシュが「一人の白人被害者」に拘っているところに、本部長が圧力をかける。シリーズ読者にはすぐそれと分かる「ハイ・ジンゴ(“High Jingo”)」の一種である。そのことに関連して、本作ではシリーズに欠かせない「小さな器の上司」が新たに着任し、年長の反抗的部下であるボッシュに対して執拗に圧力を加え、最後には、予想された通りの結果となって読者の失笑を買うといった名(迷)脇役を演じている。(ハイ・ジンゴについては、こちらを参照

転落の街(下) (講談社文庫)転落の街(上) (講談社文庫)本部長登場のついでながら、ボッシュの元パートナーであるキズミン・ライダーの消息も伝えられている。ボッシュは、前作(転落の街;The Drop)で、LAPD批判の先鋒に立っていた市議会議員との不実な政争に巻き込まれ、本部長と信頼していたキズミンに利用されてしまった。彼女はその折の功績もあって、いまやウエスト・ヴァレー署の警部(Captain)に昇進しているのだが、ボッシュとは絶交状態が続いている。(コナリーがその気になってくれることが前提だが)いずれ機会があれば、彼女がその後どのように活躍しているかを書くこともあるだろう。(「キズミン〈キズ〉・ライダー その1」、「同 その2」を参照)

さて、この記事シリーズで筆者は、ミステリーとしての核心部分には触れず、主に作品を楽しむための”Tips”をお伝えしている。本作も同様にさらりと紹介すればいいと感じていたのだが、書き始めてみると意外に話題性が多く、スペースが足りなくなってしまった。そこで、書き残しは次回に振り分けることをお許しいただきたい。次回は、プロットと人物の両面からシリーズの流れを捉えていただくため、上で述べた以外の2、3の女性たちについて、また、メイン・プロットからほぼ独立して描かれるボッシュの家庭生活(と言えばお分かりになるであろう・・)に触れるとともに、やや蛇足ながら、筆者が興味を持ち続けている地理的な舞台背景なども併せてご紹介したい。また本作では、コナリーが読者サービスのつもりか、あるいは自分自身の嗜好を書き足しただけなのか不明だが、いつも以上に多くの楽曲が登場する。それらについては、例によって「ボッシュ・シリーズと音楽 その17」で紹介させていただく。

ブラックボックス その2 につづく。

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投稿者: heartbeat

管理人の”Heartbeat”(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代前半。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。