2007年11月、ミッキー・ハラーは、殺害されてしまった仲間の刑事弁護士が取り組んでいた31の案件を、裁判所の命令により引き継ぐことになった。そのなかに、妻とその愛人の射殺容疑で逮捕されたハリウッドの大物プロデューサーの弁護も含まれていた。容疑者にとって不利な証拠が十分にあり、かつアリバイが不十分という有罪必至の事件であったが、なぜか本人は余裕の笑みを浮かべ続けている。
一方、ハリー・ボッシュはある事件の捜査を通じて、ハラーに出会う。ボッシュとハラーは初対面だったが、お互いにどこか見覚えがあると感じる。ふたりは結局、タッグを組んで難解な事件と裁判に取り組んでいくことになる。誰かが嘘をついていることが明らかな裁判が進むうちに、ハラーは、殺された弁護士が遺した事件ファイルのなかに、鉄壁の容疑をつき崩すすべを発見するのだが、命を狙われるはめになる。
ハラーとボッシュはどこにたどりつくのか。多くの謎が解けないままに物語が進行し、コナリーがどんでん返しを用意している、と分かっていても息を呑まずにはいられない。まさに、法廷サスペンスの大傑作である。「真鍮の評決」というタイトルの意味も披露される。そして、ハラーとボッシュの関係も明かされるが、シリーズをここまで読み通してきた読者にとっては想定の範囲内であろう。
「この作品では、無罪を勝ち取るためには、検察の主張や提出証拠を叩くと同時に、被告人が犯人でないとしたら、どうして事件が起こったのかについて陪審員を説得するだけの積極的な「仮説」も立でなければならないことが強調される。まさに今、日本の裁判員裁判の中でわれわれが弁護方針として採りいれようとしている最中の、最先端理論だ」(木村晋介弁護士の解説より)
「推定無罪の原理は、本来無垢の有罪者を出さないために形づくられたものであり、決して有罪者を見逃すために作られたわけではない。しかし、この原則が厳しく陪審を包むとき、被告にとって無実であるかは間われず、有罪の確認がとれるはずの証拠について、陪審員の頭を混乱させればすむということになる。(中略)これによって、裁判は真実を求めるものというより、ひとつのゲームとしての色彩を強く持つということになる。(本作の)エリオット事件についても同じだ。そしてそのことを読者は胸躍らせて読むだろう」(同)
本作は、アンソニー賞の最優秀長篇部門賞を受賞した。