2011年、刑事弁護士ミッキー ・ハラーは、長引く不況の影響で思うように稼げなくなっていた。そこで業務の方向を見直し、サブプライムローンがらみで大量に発生している住宅差し押さえ(foreclosure)問題を扱い始めると、期待以上に繁昌するようになった。ハラーはスペイン語による宣伝やウェブサイトを活用するだけでなく、大量の案件を処理するためにアソシエイトを初めて雇う。また、すぐあとに本作の刑事事件が発生するのだが、それら全部に取り組むために、高級車リンカーンを事務所代わりとしていた従来の方針を転換し、バン・ナイズ裁判所(the Van Nuys Courthouse West)の近くにオフィスを借りることにする。
さて、事件とは次のようなものだった。ローンを払えず家を差し押さえられそうな依頼人(民事)の女性が、一方の当事者である銀行幹部を待ちぶせして殺害した、という容疑で逮捕されたのである。女性は元教師のシングル・マザーで、差し押さえ問題の犠牲者であると主張し、SNSなどで仲間を募って銀行への抗議デモを繰り返すという有名人だった。ハラーは、無実を訴え、社会的注目を集めるこの女性の弁護に乗り出すのだが、訴追側は証拠を押さえているだけでなく、ハラーがこれまに一度も勝ったことのない疎腕検事補が率いていた。はたしてハラーは、勝利をおさめることができるだろうか、というリーガル・サスペンスである。
本作のおよそ3分の2ほどは、法廷の内外におけるハラーと疎腕検事補の緊迫した戦いの連続であり、読者もなかなか息つくひまが得られない。しかし、そんな中にコナリーは、ハラー本人と読者が、たまりたまった緊張感や疲労感を忘れて、リフレッシュできるシーンをちゃんと用意してくれている。そのシーンとは、公判日程の関係で一週間ほど早く設定された、ハラー46歳のバースデイ・パーティだ。
その場には、嬉しいことに、異母兄のハリー・ボッシュと彼の娘マディの姿もあった。前年の「判決破棄」の事件でハラーとボッシュは一緒に働き、「おなじ側に立って働くのは、すばらしいことで、その経験がおたがいを近づけるだろうと思っていた」ハラーだったが、パーティで見せるボッシュの態度は相変わらずよそよそしいままだった。ハラーはそのことを残念に思うが、読者はそんなボッシュの不器用で不愛想なふるまいについては、さもあらんと十分に心得ており、ハラーほど心配することにはならない。
裁判は、訴追側、弁護側ともに得点をあげたり、とられたりしながら、実力伯仲の攻防を最終弁論まで続けていく。ハラーはいつもの通り、被告を無罪と信じるか・有罪と信じるかという自らの心証は重要でなく、刑事弁護士は最善の仕事によってクライアントを守ることに徹すべしという方針を、自分自身と新人のアソシエイトに向かって繰り返し語りかける。
彼の最終戦略は、”straw man”(わら人形)、すなわち被告ではない別の殺人者とその動機の存在を陪審に示唆することだった。彼の選んだ証人に、法廷でその役割を果たしてもらわなくてはならない。その証人こそ、原題の” The Fifth Witness”(第5の証人)であり、ハラーがその証人に期待するのが邦題となっている「証言拒否」である。もっと言うと、「第5の証人」とは米国憲法修正第5条を持ち出して、公判で証言拒否する証人のことである。その証人がハラーの質問に対して証言拒否するならば、「きっと裏に何かあるからに違いない」と陪審員を信じさせることになり、そこでハラーの戦略が成就する。
以上はネタばらしに当たらず、タイトルの意味を少しだけ解説したに過ぎない。もとより、このような解説抜きでも、表紙タイトルを見てリーガル・サスペンスとしての本作のコンセプトを察知し、かつ結末をも漠然と予想してしまう読者は少なくないであろう。しかし、だからと言って本作を読んでみたいという関心が薄れるわけではないはずだ。結末の骨格が何となく予想できるとしても、そこへどうやって持っていくかがミステリーやサスペンスの真骨頂であり、マイクル・コナリーほどのプロット構築力と筆力がなければ、いかなる作家もそれに成功することはできないからである。