ボッシュの履歴書(15)60代の刑事

判決破棄 リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)判決破棄 リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)2010年2月、ミッキー・ハラーは、ある少女殺害事件の再審裁判で、臨時の特別検察官に任命される。ボッシュはハラーに請われ、検事補マーガレット・マクファースン(Margaret “Maggie McFierce” McPherson)とともにハラーのチームに加わり、24年前に起こった事件の真相に迫る。―― 「判決破棄 リンカーン弁護士(The Reversal)

ボッシュはこの作品でほぼ60歳に達した。主人公といえども、一人の人間としてリアルタイムに変化するところが、本シリーズの特徴であり哲学である。したがって愛読者としては、現在のボッシュが壮年期に比べて丸くなったり弱くなったり、たとえ「以前のボッシュらしくない」ボッシュになったとしても、シリーズの自然な流れや変化と理解すべきだし、むしろボッシュの人間らしい変化を見てみたい読者もいるだろう。ただ一方では、読者がボッシュに何をどう望もうと、かれの本質部分は確固として変化しない(老いない?)ことも、不思議と信じられる。(「リアルタイムの大河小説」を参照)

ボッシュの異母弟ハラーは、ボッシュより15歳若い。また、上記の作品で証明されたように、ふたりのコンビネーションが強力であることは確かだ。ボッシュとしては今後、刑事としての豊富な知識・経験を活かし、徐々にハラーのサポート役にシフトしていくことも可能であろう。ただ、対等以上の立場でハラーを援けるとしても、その仕事が結果としてボッシュ自身の「使命」を果たすことにならなければ、ボッシュにとっては無意味であろう。老成するボッシュにどんな活躍の場を与えるのか、現時点では作者コナリーもおおいに迷うところに違いない。

証言拒否 リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)証言拒否 リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)2011年2月か3月、その日、ボッシュは娘マディを伴い、ハラー46歳のバースデイ・パーティに出席する。ボッシュも年を経てエッジがとれてきたはずだが、ハラーに接するとき、かれの態度はどこか不器用でよそよそしい。ただ照れているだけなのか、あるいは異母弟への一種の愛情表現、とでも理解しておくしかないだろう。―― 「証言拒否 リンカーン弁護士(The Fifth Witness)」におけるエピソード。

それより少し前の2010年11月、ボッシュはRHDの未解決事件班(the Open-Unsolved Unit; 正式名はthe Cold Case Special Section)に戻り、「三合会」の捜査で知り合った若手刑事ディヴィッド・チュー(David Chu)と組んでいる。(前任のイグナシオ・フェラスは悲しいことに、「ナイン・ドラゴンズ」の事件の最中、凶弾により殉死した)

2011年9月にボッシュは、定年延長選択制度(DROP; Deferred Retirement Option Plan)の適用で、LAPDからの退職が39ヵ月(2014年12月まで)延長された。

転落の街(下) (講談社文庫)転落の街(上) (講談社文庫)2011年10月、ボッシュらが、未解決事件ファイルから1989年の女性殺害事件に取り組んでいたところ、一流ホテルでの転落死事件が起こり、本部長の政治的判断による指示で、それも担当することになる。ボッシュを裏から強制的に指名したのは、警察をあからさまに敵視する市会議員アーヴィン・アーヴィング(「終結者たち」で更迭された元LAPD副本部長)であり、ホテルで転落したのはその息子だった。 ―― 「転落の街(The Drop)

ボッシュは、残り少ないことがはっきりしている刑事人生についてかれなりの感慨を抱きつつ、同時並行でふたつの重要事件に取り組んでいく。現場で「膝の関節がポキンと鳴った」とあるように、足腰の衰えは隠せないものの、捜査指揮能力の向上でカバーしつつある。本作の捜査過程では、アーヴィン・アーヴィングに対する硬質な態度をのぞけば、かつてのボッシュによく見られた独断専行的な部分は影を潜めている。チームの司令塔といったイメージでもないが、押さえるべきところを押さえ、最終的に部下や協力者の力をめいっぱい引き出して解決に導く本作のボッシュには、「ボッシュらしからぬ」円熟味が加わってきた。

ボッシュとチューの経験差は歴然としており、客観的には師弟関係である。しかし、チューにはその自覚が乏しく、捜査の足を引っぱるミスを犯してボッシュを失望させるが、捜査終盤にかけて立ち直る。一方、本部長副官という立場にあって政治的能力を備えつつあるキズ・ライダーは、ボッシュとの方向性の違いを明らかにする。ふたりの実質的な連携は維持されるものの、心情的・同志的な絆についてはどうしても変化を免れないだろう。

以上見てきたように、60代のボッシュにとって職業上の変化はそれなりに大きな要素だが、それ以上に、生涯にわたる大きな影響をボッシュに及ぼしているものは、一人娘マディの存在、そして、ふたりで過ごす普通の父娘(?)としての生活、そこから日々、春の芽のように生まれる幸福感にほかならないであろう。マディの成長には、ひそかに見守る読者さえ目をみはるものがあり、コンテストに出場できるほど射撃の腕を上げるなど、刑事というボッシュの天職さえ継承しようとしている。(※マディに関しては、いずれ本記事のどこかで特集したい)

本作でボッシュは、変わらない部分を自らしっかりと明示している。「だれもが価値がある、さもなければだれも価値がない (Everybody counts or nobody counts)」という揺るぎない信条は、今回のふたつの事件捜査を通してふたたび確認された。また「つねに使命はそこにあり、つねにやらねばならない仕事がある」との強烈な使命感と、仕事を継続する意欲が示されたこともあって、ボッシュの雇用期間は、最終的に2016年5月までの延長が認められた。―― しかし、ということは「転落の街」の邦訳版が出版された時点では、ボッシュはすでにLAPDを退職している。

ボッシュの履歴書(16)につづく。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。