ヒエロニムス・ボッシュはとても言いにくい名前であり、とうぜん短縮形が必要になる。そこで、「ヒエロニムス(Hieronymus)」がなぜ「ハリー(Harry)」になったのか、についてもファンとしては知っておきたい。そこで、ここはまず、作者コナリーに聞いてみよう。
「ヒエロニムスという名前はジェロームという名の由来であるラテン語だ。そこから判断すれば、ヒエロニムス・ボッシュ刑事は短くジェリーと呼ばれるのが筋であっただろう。だが、わたしはそうはしないでハリーで行くことにした。”ダーティ”・ハリー・キャラハン(”Dirty” Harry Callahan)とハリー・コール(Harry Caul)という、語り手としてわたしが進化するために重要だった映画の主人公たちへの黙礼として選んだ」(「ヒエロニムス・ボッシュ」マイクル・コナリー; 三角和代訳、ミステリマガジン2010年7月号より)
ダーティ・ハリーについては、あまり映画を見ないという方も名前くらい聞いたことがあるだろう。1970年代、独特の雰囲気をもつサンフランシスコを舞台に、職務遂行のためには荒っぽい手段も辞さない”ダーティ”・ハリー・キャラハン刑事をクリント・イーストウッドが見事に演じた。このハリーは組織や規律にしばられないアウトローであり、直情径行で信念を貫徹する性格は、名前とともにハリー・ボッシュに色濃く受け継がれた。
ハリー・コールのほうは少し説明がいるだろう。こちらのハリーは、1974年のフランシス・コッポラ作品、『カンバセーション…盗聴…(The Conversation)』の主人公で、名優ジーン・ハックマンが演じている。ハリー・コールは通信傍受のプロフェッショナルとして職業上の名声を得ているが、私生活は孤独そのもの。自室に籠り、サクソフォンでジャズを奏でることが唯一の慰みという人物である。これだけ言えば、ハリー・ボッシュとの共通点はお分かりであろう。
なお、この作品は殺人計画に巻き込まれた主人公の心理的恐怖を描いたサスペンスであるが、多くの批評家からコッポラのキャリアを代表する傑作として高く評価され、1974年にカンヌでパルム・ドールを受賞している。同年度のアカデミー賞3部門にもノミネートされたが、なんと同じコッポラ作品の「ゴッドファーザー Part2」に阻まれて受賞に至らなかったという不運な作品である。一見をお薦めしたい。