エレノア・ウィッシュ その4

Photo by Inglewood Public Library - Hollywood Park Casino (circa 1994)
Photo by Inglewood Public Library
– Hollywood Park Casino (circa 1994)

エレノア・ウィッシュとハリー・ボッシュが思いがけず再会し、結婚してからおよそ3年が経っていた。エレノアは、しかし、その間に新しい仕事を見つけることができず、平凡な日常に倦み、しだいに落ち着きを失っていたと思われる。その頃の彼女は、ハリウッド・パーク(Hollywood Park Casino)のカード・ルームで日々を過ごすようになっていた。(エンジェルズ・フライト; Angeles Flight

1999年4月、人権派の黒人弁護士ハワード・エライアスの殺人事件が起こり、ボッシュはその捜査に忙殺されてしまう。人種問題がからみ、街が不穏な空気に覆われていることも、エレノアの関心の外にあった。彼女はとうとうLAを離れ、ラスヴェガスに戻ることを決心する。「しばらく離れてみようと思うの。いろいろ考えごとをするために・・・」 ボッシュに電話でそう伝えた。ボッシュは起こっていることを理解できないが、受け入れるほかなかった。

エレノアは自ら、ボッシュとの結婚を終わらせることにした。3年足らずの結婚生活を短いと思うか、それを破綻と呼ぶべきか、どちらにどう責任があるか、といったゴシップ的な関心はすべて的外れであろう。たとえてみれば、2つの白熱する恒星が接近し、渦上に回転したのち遠心力で離れていったようなものだ。エレノアの潔さと、ボッシュの苦悩がともに深く沁みわたる。このとき、彼女は妊娠していたが、ボッシュに知らせていなかった。

エレノアが娘のマディ(マデリン; Madeline “Maddie” Bosch)をボッシュに会わせる機会は、それから3年と少し後にやってくる。2002年の10月、ボッシュが私的にある事件を調査しているとき、エレノアは彼に見つけられ訪問を受ける。このとき彼女は財政的に十分自立しており、レクサスを運転し、素敵な家でメイドを毎日雇うような暮らしぶりだった。彼女は、ポーカーのワールドシリーズの参加資格を得たことをボッシュに告げる。(暗く聖なる夜; Lost Light

Photo by Serge Melki - The Wonderous Garden of Bellagio (2009) / CC BY 2.0
Photo by Serge Melki – The Wonderous Garden of Bellagio (2009) / CC BY 2.0

エレノアはしかし、簡単には娘を会わせない。ボッシュの視点に立つ読者も、そのことを知らない。ふたりははじめ、空港で待ち合わせる。ボッシュはある意図から、エレノアに彼自身のクレジットカードを使うようにと言って渡し、そのままLAに引き返してしまう。そのときボッシュが教えた暗証番号は0613(結婚記念日)であり、エレノアも彼のいじらしさに気づかざるを得ない。数日後、ふたたび空港で会い、こんどはベラージオ(Bellagio)て一夜を過ごすのだが、エレノアは彼をひとりカジノに残して去ってしまう。そして、3度目の訪問で、彼女はとうとうボッシュに、娘のマディを紹介した。なんど読んでも目頭が熱くなってしまう、心に残る名シーンだ。

エレノア・ウィッシュについて その5 につづく。

エンジェルズ・フライト〈上〉 (扶桑社ミステリー)エンジェルズ・フライト〈下〉 (扶桑社ミステリー)

 

 

 

暗く聖なる夜(上) (講談社文庫)暗く聖なる夜(下) (講談社文庫)

More from my site

  • ナイト・ホークス by Edward Hopperナイト・ホークス by Edward Hopper 本シリーズのテーマ、少なくともその重要な部分を直観的に理解するには、エドワード・ホッパー(Edward […]
  • 「ハリー」の由来について「ハリー」の由来について ヒエロニムス・ボッシュはとても言いにくい名前であり、とうぜん短縮形が必要になる。そこで、「ヒエロニムス(Hieronymus)」がなぜ「ハリー(Harry)」になったのか、につい […]
  • ブラック・ハート The Concrete Blondeブラック・ハート The Concrete Blonde 1989年の「ドールメイカー」事件で、ボッシュは通報によって容疑者の部屋に踏み込み、男が枕の下に手を伸ばしたのを見て射殺した。ところが、枕の下に武器は無く、カツラしかなかった。部 […]
  • 「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密 2「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密 2 さらに、コナリーは言う。 「執筆しているのは、日夜人間の深淵に引きずられ、仕事によって混沌とその結果の風景を隅々まで引きまわされる男の話。人間のなかに巣くう恐ろしい悪魔に立 […]
  • ボッシュ・シリーズと音楽 その5ボッシュ・シリーズと音楽 その5 シリーズのスピンオフ作品の中で、ボッシュと最もつながりの深いテリー・マッケイレブが鮮烈に初登場した「わが心臓の痛み(Blood […]
  • ボッシュ人物論3 どのような警察官かボッシュ人物論3 どのような警察官か ボッシュの使命であり、その遂行によって達成する本質的解決とは、そこに存在する「悪」を追いつめ、消滅させるることにほかならない。ボッシュといえども、パトロール警官時代にそこまでの考 […]

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。