レイチェル・ウォリング その5

LA_downtown-022007年、レイチェル・ウォリングは引きつづきLAの戦術諜報課で、彼女にとって新たなチャレンジとなるテロ対策の任務に取り組んでいた。放射性物資を扱う施設やその関係者は、テロのターゲットとなり得るため警戒対象の一つであったが、ある放射線医療の専門家がマルホランド展望台(the Mulholland Scenic Overlook)で殺害されたことから、レイチェルらは現場に急行し、そこで数か月ぶりにハリー・ボッシュと出会う。(死角 – オーバールック; The Overlook

「あのな」ボッシュは言った。「きみをずっと無視してきたのはわかっている。しかし、事件現場までわざわざおれを追いかけてくるには及ばんぞ・・・」
「冗談言っている暇はないの」レイチェルはボッシュの言葉を遮った。「いまのセリフが冗談のつもりだとしても」

レイチェルはこんな一瞬のやりとりで、ボッシュの目を覚ました。これをある種のゲームと見立てるなら、レイチェルの判定勝ちとしたいところだ。この事件は結局、ボッシュの得た証拠によってテロの捜査視点は見当違いであることが判明し、レイチェルとボッシュは真犯人を追いつめる。レイチェルは銃撃によるガラスの破片で頬に小さな傷を負い、ボッシュも途中でセシウムを被爆したのだが、幸いどちらも大事には至らなかった。

ところで、「死角 – オーバールック」には変則的に4つのバージョンが存在することが、同作のあとがきで紹介されている。邦訳された版と異なる、そのうちの一つのバージョンでは、レイチェルとボッシュがこの事件後にふたたび、非常に親密となるようすが描かれている。しかし、作者コナリーもさすがにおかしいと考え、シリーズ定本版でそれは「無かったこと」になり、「エコーパーク」のラストにおけるレイチェルの決心がひとまず尊重されたようだ。

Photo by Minnaert - Los Angeles Times Building (2008) / CC BY 3.0
Photo by Minnaert
– Los Angeles Times Building (2008) / CC BY 3.0

2009年5月、レイチェルは、二度と会うことがないはずの人物から連絡を受ける。そのころ、LAタイムズから解雇を告げられていたジャック・マカヴォイだった。1995年の「ザ・ポエット」の事件から14年が経っている。レイチェルはその長い年月の間、マカヴォイとの不適切な関係がもとで、連邦捜査官としてのキャリア上、非常に長い回り道を強いられたことを忘れるわけがない。マカヴォイとの接触を断つ状態に時効はないはずであった。ところが・・・

「レイチェル、ぼくだ。ジャックだ」(沈黙)「元気でやってるかい?」
「なぜ電話してきたの、ジャック?話をしないほうがいいだろうと話し合って決めたじゃない」
「わかってる・・・だけど、きみの手助けが必要なんだ。ぼくはやっかいな目に遭っているんだ、レイチェル」 ・・・

Hotel Nevada and Gambling Hall in Ely, Nevada
Hotel Nevada and Gambling Hall in Ely, Nevada

という、なんとも凡庸なやりとりから、再びふたりは急接近することになる。マカヴォイの危急を知ったレイチェルは、ホテル・ネバダ(Hotel Nevada and Gambling Hall)でかれと会うために、LAからネリス空軍基地まで公用機を使い、さらにヘリを飛ばしてネバダ州中央部のイーリー(Ely)まで自分を運ぶという、離れわざを実行する。少年少女向けの冒険小説さながら、といえる。

電話を受けて行動に移すまで、わずか数十分のことである。レイチェルは、われわれのような観客がまさに期待するとおりの、「ヒーローの行動」にうって出たのだ。しかし、レイチェルをよく観察してみると、強い衝動に突き動かされた気配もなく、ヒーローとしての自己酩酊も感じられない。目の前の目的としてはマカヴォイを救うため、もっと大きな目的として、いまが連邦犯罪を解明するチャンスという計算はあっただろう。

life_on-the-road-02もう一度ふりかえると、レイチェルはまず、マカヴォイのたった一本の電話で、14年間保ちつづけた絶縁という矜持をすぱっと脱ぎ捨ててしまった。そのあと、冷静と言えるかどうかわからないが、すばやく思考を回転して決断を行ない、わが身の心配をよこにおいて行動に移した。これには、手助けを頼んだマカヴォイも呆気にとられたが、われわれ読者もさすがに驚かされた。まさに、レイチェルの「自立した精神」が、最大限に発揮された瞬間だったのではないだろうか。

ただし、レイチェルが公用機やヘリを使用するためには、架空の理由づけが必要だった。そのことが後日、連邦公務員による政府資産の不正使用ということになり、彼女は直接の起訴を免れるため、FBIからの退職を余儀なくされてしまう。 しかし、マカヴォイの働きもあり、やがて事件の解決にともなって復職できた。 このように緊張感がつづく中では、ありがちとしか言いようがないが、レイチェルとマカヴォイの関係は再燃し、あとは推して知るべしの展開となる。マカヴォイがレイチェルを「野性の猫」にたとえたのは、このときであった。(スケアクロウ; The Scarecrow

Photo by https://www.flickr.com/people/22007612@N05 - Amy Adams speaking at the 2015 San Diego Comic Con International, for "Batman v Superman: Dawn of Justice", at the San Diego Convention Center in San Diego, California. (2015) / CC BY 2.0
Photo by https://www.flickr.com/people/22007612@N05 – Amy Adams speaking at the 2015 San Diego Comic Con International, for “Batman v Superman: Dawn of Justice”, at the San Diego Convention Center in San Diego, California. (2015) / CC BY 2.0

さて、レイチェル・ウォリングを体現できる女優はいったい誰だろう。筆者のイメージはいまのところ、エイミー・アダムス(Amy Lou Adams)のほかに思いつかない。いまさら説明はいらないと思うが、エイミー・アダムスは、アカデミー賞の助演、および主演女優賞に通算5回ノミネートされている実力俳優である。偶然だが、エイミー・アダムスと、筆者がエレノア・ウィッシュのイメージとして推すダイアン・レインの二人は、2013年の「マン・オブ・スティール」および2016年の続編で、それぞれスーパーマンの恋人ロイス・レイン役と、母親マーサ・ケント役で共演している。

レイチェル・ウォリング その6につづく。

 

死角 オーバールック (講談社文庫)スケアクロウ(上) (講談社文庫)スケアクロウ(下) (講談社文庫)

 

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。