罪責の神々 リンカーン弁護士 The Gods of Guilt

罪責の神々 リンカーン弁護士(下) (講談社文庫)罪責の神々 リンカーン弁護士(上) (講談社文庫)本作はハリー・ボッシュの異母弟、ミッキー・ハラーのシリーズ第5作にあたる。ハラーは、前作「証言拒否 (The Fifth Witness)」の事後、ロサンゼルスの地区検事長に立候補するが敗れてしまう。以前ハラーのもとで飲酒運転の訴追を免れていた元依頼人が2人の歩行者を死なせ、そうした(職業上やむをえない)スキャンダルのために自滅的敗北を招いたハラーであったが、さらにまずいことに、被害者の一人は娘ヘイリーの友人という偶然が重なり、とうとうハラーは娘から会うことを拒否されてしまっていた。本作は、そのような絶望を抱えるハラー自身の心象風景とともに進んでいく。

2012年11月、ハラーはビバリー・ウィルシャー(Beverly Wilshire Hotel)の一室における殺人容疑で逮捕されたあるデジタル・ポン引き(a digital pimp)の弁護依頼を受けるが、殺された娼婦は意外なことに、かれが7年前、新しい人生を与えるために進んで面倒を見たかつての依頼人だった。ハラーのチームはそこから独自に調査を進め、被疑者は無実であり、何者かにはめられた事件であることを確信する。公判戦略は、陪審に対し、他の誰かが犯人である可能性を示唆することである。本作のタイトル「罪責の神々」とは、裁判で”神”として行動しなければならない12人の陪審員を指す呼称であり、作品の中では、ハラーの冒頭陳述においてその意味するところが紹介されている。

Beverly Wilshire Hotel, Beverly Hills

本作について筆者なりに特徴を述べると、すぐれて映像作品的な小説とでもなるであろうか。作者コナリーの、小説家というよりエンターテイナーとしてのサービス精神が遺憾なく発揮され、これまでのシリーズ作品と比べても、読者の予期せぬ設定や要素がいちだんと複雑に、また劇的に織り込まれている。一つ一つのシーンにはどこかで読んだような(あるいは映画で見たことのあるような)既視感がなくもないが、コナリーはそれらをマジックのように次々と繰り出していく。読者がふと気づくと、そこに「初めて見る世界」が広がっているといった感じだ。しかし、内容が盛沢山のわりには、物語全体がなめらかに、またテンポよく展開していくので、本格的なリーガル・サスペンスにあるような読後の疲労感があまりないことにも気づくだろう。

やや繰り返しになるが、コナリーは、法廷劇を中心とする既定路線にたくさんのドラマ、アクションやスリラーなどの要素を巧妙に組み入れることにより、ミッキー・ハラー・シリーズ5作目にして、従来のリーガル・サスペンスというジャンルを超えて見せたのかも知れない。あるいは、そこまでの成功とは言えないにせよ、少なくとも本作で同シリーズの新たな境地を開拓したことは確かであり、マンネリ化を嫌う読者を大いに満足させるに違いない。さて、それでは以下、あらすじの暴露とならないように注意しながら、本作で披露されているシリーズの新たな一面について2,3紹介してみたい。

チームはサンタモニカのロフト・スペースを作戦拠点にした

ハラーはこれまで誰かの手助けを多少必要とするにしても、どちらかと言えば、兄のボッシュと同様に、主人公として終始単独で問題に向き合ってきた。しかし本作では「個人からチームへ」という流れがより鮮明となっている。ハラーは心身ともボロボロになりつつ最終的に勝利するが、それには成長した各メンバーの力や支えが必須の条件であり、したがって成果もチーム全員のものとなるのだ。チームの顔ぶれは、ハラーの元妻でケースマネージャーのローナ(Lorna Taylor)、その夫で「地獄の天使」タイプの調査員シスコ(Cisco Wojciechowski)、いつか大出世するに違いない優秀なルーキー弁護士(Jennifer Aronson)、若き日のモーガン・フリーマンを想起させる運転手(Earl Briggs)、そしてハラーの導師役(David Siegel)・・・と実に多彩。筆者はかれらの活躍シーンを、読後のいまも目に浮かべることができる。

一方、仕事の面とは対照的に、ハラーの私生活は寒々としている。かれは16歳の娘ヘイリーに会うことができず、その母親にして元妻のマギー・マクファースンとも次第に疎遠となっている。すべての責任はハラーにあり、かれの選挙における敗北が検事補マギーのキャリアをも台無しにしたのだった。ハラーがこれらの状況を少しでも改善するには、仕事(公判)の上で”正しいこと”を行ない、それを母娘に示してみせる以外に方法は残されていなかった。最後には是が非でも(ただし、この場合は”是”にこだわって)それに成功したいハラーであったが、目的地にたどり着くまでには苦労も多い。本作では、そんなハラーを癒し、明るい希望を抱かせる魅力的女性も登場する。こうしたバランスは、コナリー作品の特徴の一つであろう。

また、本作でもハリー・ボッシュのカメオ出演がある。ボッシュとハラーが裁判所の廊下でばったり会い、短い会話を交わすという場面が挿入されている。ふたりは法制度の名目的立場において対立する側におり、”仲の良い兄弟”といった素振りをあまり見せ合うことのない関係にあるが、「正しさ」を切実に求めて行動する一点において同志である。そのため、戦いの場に赴くハラーにとって、ボッシュとの邂逅は心の深い部分で励ましとなるに違いなく、読者もまた、そうしたシーンを目の当たりにして安心する。それにしても、わずかな登場で存在感を示すボッシュが見られてうれしいのやら、寂しいのやら、少し複雑な気分となるのは筆者だけであろうか。

犬の力 下 (角川文庫)犬の力 上 (角川文庫)本作にはシリーズの新たな境地が見られる一方、練達の読者ならばそれと反対に”既視感を覚える”、あるいは”馴染み深い”テーマや設定も容易に見つけることができるだろう。その一つはたとえば、コナリーの作品世界に共通する真犯人像といったものであり、今回もグレーな人物がにぎやかに登場する中で、最悪の腐臭はいつものように、権力の側(その一部)から放たれている。また、殺された娼婦、ハラーに無実を訴える被疑者や、獄中の重要人物なども、コナリー作品のファンにとっては古い友人知己のように感じるだろう。本作ではさらに、麻薬戦争で有名な「シナロア・カルテル」まで登場して、欠かせない役割を果たしている。この極めつけの犯罪集団について興味のある方は、ドン・ウィンズロウのベストセラー、「犬の力」、そして続編の「ザ・カルテル」を参照されたい。

メン・イン・ブラック(1枚組) [SPE BEST] [DVD]蛇足になるが、作者コナリーは本作の映像化を意識してか、料理ならさしずめ”おまけのトッピング”とでもいうような、楽しいコミカルなシーンを用意している。一つは、あわてて裁判所を飛び出したハラーが、「リンカーン弁護士」を模倣した他人の車に乗り込んでしまうシーン、もう一つは、ハラーと運転手アールが二人とも黒ずくめの服装で、ある家を訪問するシーン(「メン・イン・ブラック」)・・・など。これもまた”ファン・サービスの一部”として素直に受け止めてあげればコナリーもきっと本望だろう。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。