ハリー・ボッシュと、フィリップ・マーロウ 2

ハリー・ボッシュは「インサイダーの仕事をするアウトサイダー」であると言っている。「外形はインサイダー。中身はアウトサイダー」と言い換えもできる。実社会を思い起こしてみるならば、ネガティブな意味で「あいつは一匹狼」などと指摘される人物が、必ずどこの組織にも存在するのではないだろうか。つまり、ただの一匹狼ならそれほど珍しくはない。

restaurant-926524_960_720-02ボッシュが「ただの一匹狼」かどうかは別として、ふたりの比較に戻ると、ボッシュはマーロウ同様、「たんに事件を解決するだけではなく、真の正義を求める者」であり、その自己定義はふたりに共通している。ただ、ボッシュは、マーロウのように全くフリーな立場でそれを実践するのでなく、あえて組織に身を置き、いかに苦手ではあっても、有効な手段として組織を活用することを選択した。組織の外と内ではとうぜん、孤高(と言って相応しくなければ、孤立)のあり方も異なるであろう。

ボッシュが組織の中で悪戦苦闘し、ときに孤立してしまう姿に、人によっては共感を覚えるかも知れない。かれは、普通なら「ここらでやめておこう」と思うようなことをつい徹底的にやってしまったり、読者が「ああ、また」「それは危い」などと心配するそばから、上司や同僚と衝突する。平凡な組織人であれば、「自分にはけしてできない」行動を起こすボッシュに反発もあるが、ある種の羨望や同情さえ覚える場面でもある。

lights-801894_960_720-2ボッシュにとって職場での軋轢や衝突は恐ろしくないのである。自分には使命があり、ほかに選択肢がなければ、型破りな突破も辞さない。その結果、誰もが解決不能と考えるような難事件を、周りに息もつかせぬうちにエンディングへと導き、カタルシスをもたらすのである。コナリーはこうも述べている。「最後には、わたしの刑事(ボッシュ)は、読者が自分や家族が死体安置所のステンレス台に横たわることになったとしたら、事件を担当してほしいと願うような刑事」(「ヒエロニムス・ボッシュ」マイクル・コナリー(三角和代氏訳)ミステリマガジン2010年7月号)なのである。

ボッシュのマーロウとの違いに戻ると、犯罪や不正に立ち向かうときに、ボッシュは外部の敵に対処しながら、「自分自身のうちにある何か」、「自己の闇」とつねに向き合っている。ボッシュがだれも信じず、だれにも頼らない独りきりの生き方を続けていることを、読者は事ある毎に思い知らされ、なんともいえない哀しみや寂寥感を味わうことになる。

マーロウはどうかというと、「チャンドラーは叙情的な文体に特色があり、フィリップ・マーロウが呟くモノローグには感傷的なところが見受けられるが(それが最大の魅力だが)、事件を通してさらけ出された関係者の心の闇が、マーロウにフィードバックされ大きな影響を与えることはなかったように思う」(西上心太氏; 「わが心臓の痛み」解説)という意見に賛成だ。

Sunset Blvd., Los Angeles
Sunset Blvd., Los Angeles

ボッシュの本質は、マーロウのごとく「卑しい街をゆく高潔の騎士」に違いないが、使命感の強さにおいてマーロウに優るであろう。ただし、マーロウを形容するときの「りっぱな男」はまったく似合わない。単なる「一匹狼」や「型破り」ではなく、「愛すべきキャラクター」のタイプでも絶対にない。ハリー・ボッシュは、「ハリー・ボッシュ」以外の誰とも似ていない男、としか言いようがないとしておこう。