ハリー・ボッシュと、フィリップ・マーロウ 1

LA_downtown 2-4作者コナリーは学生時代に、映画「ロング・グッドパイ(長いお別れ; The Long Goodbye)」を観てレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)に興味を持ち、作家をめざす決意をした。(「作家、マイクル・コナリーについて」はこちら)

「チャンドラー作品の素晴らしさは構成にあるのではなく、むしろ文体やロサンジェルスという街と当時の世情を巧みに取り入れたことでありましょう。全作品ともマーロウと呼ばれる登場人物の目をとおして語られるのです。わたしはチャンドラーすなわちマーロウの金満家への疑念、欺附者への嫌悪感、警察や司法にたいする皮肉に諸手をあげて賛同したのです。自分の進むべき方向を模索する20歳の若者にとって強烈なテーマでした。このテーマは私自身が書きたかったものだったのです」(「マイクル・コナリーのチャンドラー論」 ミステリマガジン1999年3月号、門倉洗太郎氏訳)

Humphrey Bogart as Marlowe, with Lauren Bacall as Vivian Rutledge in The Big Sleep
Humphrey Bogart as Marlowe, with Lauren Bacall as Vivian Rutledge in The Big Sleep

チャンドラーは、私立探偵フィリップ・マーロウ(Philip Marlowe)を「卑しい街をゆく高潔の騎士」――金や女性などいかなる誘惑にも屈せず、警察にも服従しない孤高のヒーローとして造形した。その成果は目覚しく、マーロウがハードボイルド小説のイメージを何十年もの間、固定化してきたたと言える。しかし、われわれ現代の読者は、マーロウの「格好よさ」というか、そうしたある種の普遍的魅力を認めながらも、やっぱり全体としては古風過ぎると感じざるを得ない。

シティ・オブ・ボーンズ (ハヤカワ・ミステリ文庫)「ハードボイルドを取り巻く環境は、かつてと比べて明らかに悪化しているのは間違いないだろう。中にはハードボイルドというジャンルそのものが他のジャンルに取り込まれ、もはや死滅してしまったのだとの過激な意見を述べる人もいるほどだ。冷静に考えてみれば、確かにこの現代において正統派のハードボイルドを書こうとするのは、いささか困難なことであるのかもしれない。ことにチャンドラー に代表される社会派感傷ハードボイルドは、今となってはパロディかオマージュぐらいにしか見ることができなくなっている。社会そのものがあまりにも複雑怪奇になりすぎて、一方で高度に管理された情報化社会の側面も併せ持つ現代では、社会の腐敗を暴くミステリーとしてのハードボイルドは、いかにも脆弱になっていたのである」(関口苑生氏: 「シティ・オブ・ボーンズ」解説より)

LA_street-long-exposureとはいえ、チャンドラーはマーロウを通じて、第2次大戦からその直後の時代を背景とするハードボイルドの基本スタイルのようなものを確立し、その後、多くの作家がマーロウのさまざまな亜流や変種を生み出してきた。そして、わがハリー・ボッシュもその系統樹の先端にいる一人ということになるのかも知れない。しかしながら筆者は、ボッシュとマーロウとの違いがあまりにも際立っていることから、ボッシュをマーロウの後裔と捉えるよりも、むしろDNAに物理的変化を生じた突然変異体ではないか、という意見だ。

ボッシュは1950年、日本の団塊世代より1年あとに生まれた。幼少年期にある深いトラウマを蒙り、青年期にベトナムで兵役につき、除隊後はPTSDに見舞われる。まもなくロサンジェルス市警に入り、数年で一人前の刑事となる。ボッシュの物語は、「ポスト・ベトナム」(1975年~)に始まり、80年代から90年代を経て2000年代のいまに至る「現代」の時間軸上を同時進行で突き進んでいく。このように混迷の時代背景を考慮しただけでも、並のヒーローではおそらく生命力がもたず、新たなヒーローは必然的に突然変異とならざるを得ないとも考えた。

マーロウとボッシュの違いをざっくり挙げてみる。マーロウが警察に服従しないことを信条とする私立探偵(アウトサイダー)であるのに対し、ボッシュは警察組織の一員(インサイダー)である。その違いは何か。私立探偵はアウトサイダーであるがゆえに、事件に対してどうしても「傍観者」の色合いが出てしまうが、警察官は組織がかりで事件を解決する絶対的使命を帯びた「主体者」(もちろん中にはそんな自覚を持たない者もいるだろうが)、という点に注目したい。

las-vegas_light-254078_960_720-3ボッシュの職業設定について、コナリーは次のように述べている。

「(わたしは)心の師匠たちに敬意を表し、彼らが教えてくれたことを使ってわたしだけのものを作りあげたかった。チャンドラー、マクドナルド、(中略)。彼らのキャラクターのアウトサイダーの要素と、インサイダー ――組織内部の人間であるキャラクターの特性を結びつけた人物を創りたかった。ピアス(註:主人公の仮名)はインサイダーの仕事をするアウトサイダーにしよう。彼はなにをやろうとしても、政治や役所仕事の壁に直面することになる。仕事はできるが、仕事を遂行する方法に問題がある。ときには自分が最悪の敵になってしまう。いつも孤独な任務を――トンネルでひとりきり――こなしているように感じている。たとえ、パートナーがいても強力な組織の一員であっても。たんに事件を解決するだけではなく、真の正義を求める者になる」(「ヒエロニムス・ボッシュ」マイクル・コナリー(三角和代氏訳)ミステリマガジン2010年7月号より)

ハリー・ボッシュと、フィリップ・マーロウ 2 につづく。

 

 

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。