エレノア・ウィッシュ その2

エレノア・ウィッシュは一度結婚し、ボッシュと出会う何年か前に離婚していたとされる。彼女は離婚後も、旧姓のスカルラッティ(Scarletti)に戻らず、元夫の姓(Wish)を名乗り続けた。その理由の一端は「ナイトホークス」で明らかになるが、ここでは物語の進行に関係があるとだけ述べておこう。

Wall near Beaver Stadium, The Pennsylvania State University
Wall near Beaver Stadium, The Pennsylvania State University

エレノアがFBIで法執行官に就くことを決めたのは、職業軍人だった父親の影響かもしれない。彼女はペンシルベニア州立大学で刑事司法を主専攻、会計を副専攻として学び、卒業後FBIに入局する。金融業務などに絡む知的犯罪については予備知識があったであろう。FBIではエージェントとして、ワシントンDCのホワイトカラー犯罪ユニットから順調にキャリアをスタートさせるのだが、そこに長居することはなかった。

エレノアはある秘めた目的から、LAの銀行強盗・誘拐ユニットへの異動を希望し、それを実現するのである。ここから先は物語の核心に近づき過ぎてしまうので、「ナイトホークス」を読んでいただくしかない。ただ、これだけは言えるのだが、果敢に行動することを厭わない、悪く言えば向こう見ずな彼女の性格がそこによく表れていることは確かだ。そんなエレノアの性格はどこかボッシュと共通しており、したがって互いに引きつけあうこともあれば、また逆に、磁石の同極のように反発し合うことがあるかも知れない。

Jacaranda tree
Jacaranda tree

エレノアはLAに移ってきた。彼女はビーチに近い、外にジャカランダの木があるサンタモニカのタウンハウスに住み、そこからウェストウッドの連邦ビルは近くて通勤が容易だった。エレノアがその家に初めてボッシュを誘ったとき、ふたりともジャズ愛好家であることを知る。そして、カウチの上に飾られた一枚の絵(複製画)がボッシュの眼を奪う。エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の「ナイトホークス(夜ふかしをする人たち; Nighthawks)」だった。エレノアは、その絵のオリジナルをシカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)で見たとかれが話すのを聞く。

エレノアとボッシュは、ふたりともその絵に強い印象を抱いていることを知り、精神的なつながりを感じるのだった。ボッシュは、絵のなかの一人で座っている男を自らと同一視していた。自分こそ「孤独な夜の鷹=ナイトホークス」であると。そして、エレノアもまた、自分を一人の孤独な人物になぞらえていた。ふたりはより親密になることで、絵のなかの男女のカップルに変化するのかも知れなかったが、その絵のカップルにしてもどことなくよそよそしさが残っており、孤独の影があとかたもなく消え去っているわけではない。(「ナイト・ホークス by Edward Hopper」を参照)

Nighthawks, Edward Hopper
Nighthawks, Edward Hopper

事件の捜査を一緒に進めながら、エレノアが上手な聞き役として、ボッシュにさまざまな問いかけを発し、ボッシュが応えることを繰り返す。すると、会話の中身が濃くなるにつれ、はじめにボッシュ、やがてエレノア自身の個人的な物語が少しづつ明らかになっていくのである。たとえば、エレノアが事件の渦中で重要な役割をもつある少年について、ボッシュに問いかける場面がある。「あなた、あの子のこと気にいっているでしょ。あの子に接する態度を見ていてそう思う。自分の姿を見ているようなところがあるのね?」

出会ってから触れ合いを重ねるうちに、ふたりは互いに「自分と同じような魂を持っている」と気づくまでになるが、まだ、波乱万丈の一幕が降りようとしていたに過ぎない。エレノアは捜査中の犯罪における彼女自身の目的と役割について、すべてを語ってはいなかった。彼女は、ボッシュにうながされるかたちで物語に決着をつけ、そのとき、エドワード・ホッパーの複製画をボッシュに託すのだった。

エレノア・ウィッシュ その3 につづく。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。