ボッシュは1984年から、スタジオシティ(Studio City)から南東に臨む丘の一角、ウッドロー・ウィルソン・ドライブ(Woodrow Wilson Drive)に住んでいる。この家は丘陵の傾斜地にあるため、カンチレバー(cantilever; 片持ち梁)を取り入れており、一部分がデッキとなって東側の斜面にはり出している。
そのデッキから東(より正確には東北東)の方向からは、まず直線距離で300mほど先をほぼ南北に走るハリウッド・フリーウェイ(U.S. Route 101)の音が遠く聞こえるだろう。さらに首を起こしてその先を望むと、ハリウッド貯水池の端をとおりこし、有名なハリウッドサイン(Hollywood Sign)のある丘陵部分が視界に入るはずである。
なお、「ラスト・コヨーテ(The Last Coyote)」では、北に向かうフリーウェイそのものを1マイル程度一望でき、ほかにも車線が光の束となって見えるといった描写もあるが、そうかも知れないし、実際にはツヅラ状の尾根や木立が視界をさえぎって、見えるような気がするだけかも知れない。そこは読者が勝手に想像すればよい部分だ。
さて、もしボッシュが、ある晴れた日、まだ明るいうちに仕事から解放されて帰宅し、一本のビールを片手にしてデッキ・チェアに陣取るならば、北東側の丘陵やさらにその先、グレンデール(Glendale)の山々が西日をうけて、黄金色に輝くすばらしい光景を堪能できるだろう。
それからしばらくの間、日没による光や色彩のグラデーションを陶然と眺めていれば、苦悩に満たされたボッシュの内面もいくらか安まるに違いない。やがて暗闇が増してくる。そのころまでに、ビールの6本パックは大半が消費されていることだろう。デッキからの眺めは、やや北の方向にある、ユニバーサルスタジオ(Universal Studio)やバーバンク(Burbank)の夜景に主役交代している。
なんと素晴らしい。こんな夢のような自宅を一介の警察官がどうして持てたかというと、それには訳がある。自分が担当して解決したある難事件が、たまたま「本」となり、またTVシリーズとなって、ボッシュに相当な臨時収入があったのだ。
小説のなかの設定とはいえ、LAという街では実際に起こりそうな話でもあり、ここで目くじらを立ててはいけないだろう。この家はその後、主人公の自宅だから当然のことではあるが、本シリーズに毎回のように登場し、逆境と戦うなかでボロボロになったボッシュやそのパートナーを癒すための、無くてはならない、重要なロケーションとなっていくのである。
ところで、自宅デッキからの眺望やビールはボッシュにとって、やや大げさに言えば、かれの刑事人生や生活を支える必需品の一部である。また同時に、われわれ読者にとっても、ボッシュのドラマを体感するために必要な、コナリーによって選び抜かれた「舞台装置や小道具」ということになるだろう。
ボッシュを支える真にかけがえのない存在はもちろん、かれ自身の家族、パートナーや友人たちであるが、そのことを別にして、自宅やビールと同列に把えておきたい、ボッシュにとってもう一つの「心の支え」、それは音楽である。「ボッシュと音楽 その1」はこちら。
ボッシュの自宅のストーリーには、後日談もあるので触れておきたい。「ボッシュ、LA地震で自宅が半壊」につづく。