ヒエロニムス(Hieronymus)とは、画家ボッシュが俯瞰した悪夢のような世界に立ち向かう者の名前であった。また、ニーチェの言う「怪物と戦う者」、「深淵を覗く者」の符号でもあった。そして、ヒエロニムスにはさらに、もう一つの謂(いい)があることも見落としてはならない。
それは、作中でたびたび、ボッシュ自ら説明している。ボッシュが誰かに自分の本名を紹介するとき、ヒエロニムス(Hieronymus)がanonymousとおなじ韻であると話すのである。つまり自分は、Hieronymus というが、同時にanonymous(アノニマス)=「匿名の」・「誰でもない」・「名無し」でもあると。
そのように紹介された他人は、それを受けて少なからず違和感や「居心地の悪さ」を覚えるかも知れない。あるいは、そのひとが十分に感性豊かであれば、そこにボッシュの自嘲や孤独な人生さえ感じるかも知れない。
ボッシュは、「誰でもない」がゆえに、「自分がなにものなのか」と自問し続け、アイデンティティを探し求める。その数奇で孤独な生い立ちの物語は、本シリーズの第一期ともいえる「ナイトホークス(The Black Echo)」から「ラスト・コヨーテ(The Last Coyote)」までの4連作のなかで読者に明かされていく。また、シリーズを読み進める読者はやがて、その物語がシリーズ全体に流れる通奏低音であることに、否応なく気づかされるのである。
さて、ヒエロニムスはとても言いにくい名前であり、とうぜん短縮形が必要になる。そこで、ヒエロニムスがなぜ「ハリー」になったのか、についても知っておきたい。



