ナイト・ホークス by Edward Hopper

本シリーズのテーマ、少なくともその重要な部分を直観的に理解するには、エドワード・ホッパー(Edward Hopper)の1942年の作品、「ナイトホークス(夜ふかしをする人たち; Nighthawks)」を鑑賞すればいいだろう。コナリーの創作した主人公ボッシュの深い陰影を湛えた人物像が、画家ホッパーの描いた世界にくっきりと浮かび上がり、小説と絵画が見事にシンクロしているからである。「ナイトホークス」とは「孤独な夜の鷹」、すなわち「夜ふかしをする人たち」である。

ナイトホークス(夜ふかしをする人たち) エドワード・ホッパー
ナイトホークス(夜ふかしをする人たち) エドワード・ホッパー

ある街角の夜ふけのダイナー(軽食レストラン/バー)。閑散とした店のカウンターに、ひと組のカップルが寄り添い、手前には一人の男が物思いに沈む体(てい)で背中を見せている。店員は自分の仕事にいそしむ。店の向こう側はガラスを通して、真っ暗な空間が占めている。画家、もしくは鑑賞者は、店の外の、少し離れた場所からそんな寂しい光景を眺めている。1940年代の都会がもつ孤独や空虚、疎外感がみごとに表現された作品だ。

ナイトホークス〈下〉 (扶桑社ミステリー)ナイトホークス〈上〉 (扶桑社ミステリー)小説「ナイトホークス」でボッシュは、サンタモニカにあるエレノア・ウイツシュの家を訪れたときに、カウチの上に掛けられたこの絵(複製画)を見つけ、エレノアとの精神的なつながりを強く感じる。かれ自身も前からその絵が気になっていたからだ。ボッシュは、その内の一人で座っている男を自らと同一視していた。自分こそ「孤独な夜の鷹=ナイトホークス」であると。

一方、エレノアも同様に、自分を一人の孤独な人物のほうになぞらえていたが、ボッシュと親密になった途端、カップルのほうに宗旨替えする。しかし、ふたりから孤独の雰囲気が消え去ることはなく、いつかまた一人に戻るのではないかと、読者を予感させる。小説家コナリーは、この絵から多くのインスピレーションを受けたに違いない。

本シリーズには警察小説の一面もあるが、ハードボイルドの系譜をより強く感じる。そう考える根拠のひとつは、ハリー・ボッシュの物語が、銃やバッジやパトカーのイメージを連想させるのでなく、このホッパー作品から滲み出ている孤独な男のイメージにぴったりとシンクロするからである。この絵こそ、ハリー・ボッシュ・シリーズのモチーフであると同時に、普遍的なテーマとさえ言えるのではないか。

トランク・ミュージック〈下〉 (扶桑社ミステリー)トランク・ミュージック〈上〉 (扶桑社ミステリー)コナリーもそのように感じたからこそ、シリーズの中で、この絵をとても丁寧に扱っている。はじめサンタモニカの家にあった絵(複製画)は「ナイトホークス」の事件の後、エレノアからボッシュに贈られる。ボッシュは地震で一度それを失ってしまうが、「トランク・ミュージック」でエレノア本人と再会するとき、ラスヴェガスの家を飾るこの絵にも再会。その後、ふたりは結婚し、絵はロサンジェルスのボッシュの新しい家の壁に掛け替えられた。この絵の旅程がまさに、「ふたりの心のつながりを象徴するもの」(岩田清美;「トランク・ミュージック」解説)であったのだ。

さて、エドワード・ホッパー(Edward Hopper, 1882-1967)は、20世紀アメリカの具象絵画を代表する一人である。おもに東海岸地区の都会の街路や、オフィス、劇場、ガソリンスタンド、灯台、田舎家など、人々の目に見慣れた風景や生活を、独特の感性で描いた。人間の孤独感や疎外感がつよく表現されたホッパー作品は今日高い人気をもっている。

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。