エレノア・ウィッシュ その3

エレノア・ウィッシュは「ナイトホークス」における事件決着の結果、ラスヴェガスのカリフォルニア女性刑務所(the California Institution for Women)に収監されるが、そこである受刑者仲間から、新たに生計を立てるためのきっかけを与えられる。

Photo by Jacoplane - View of the Mirage from the Venetian (2008) / CC BY 2.0
Photo by Jacoplane – View of the Mirage from the Venetian (2008) / CC BY 2.0

釈放されてまもなく、エレノアは仲間の叔父という人物の支援を得、ラスヴェガスでプロのポーカープレーヤーとして再スタートする。公職を追放された身とはいえ、凡人から見れば、なんとも大胆としか言いようのないキャリア・チェンジをスパッと実行してしまう彼女に、唖然とするか、羨望を覚えるかは読者しだいである。

the Flamingo
the Flamingo

しかし考えてみれば、思い切りのよい性格に加えて、もともと頭がよく、ひとを引きつけるのに十分な美貌があり、刑事司法と会計と犯罪捜査にくわしいエレノアのような女性ならば、裏の世界と何らかのつながりを持つカジノにはうってつけの人材と言えなくもない。彼女は、安い家具付きアパートに住みながら、ミラージュ(the Mirage)、フラミンゴ(Flamingo)、ハラーズ(Harrah’s)といった有力カジノのテーブルを回るようになった。

Harrah's
Harrah’s

エレノアは仕事を世話してくれた男に週200ドルのショバ代を支払い、また時折、上の方から依頼のあるときに、カジノに出入りする様々な人物の監視を行うようなこともあった。彼女はのちに、上の方とはシカゴの組織幹部、ジョセフ・マルコーニ(Giuseppe Marconi = “Joseph Marconi” = “Joey Marks”)のことであり、そこからカジノの資金が出ていることを知る。(トランク・ミュージック; Trunk Music

1996年6月、エレノアのテーブルについたある客がその数日後にLAで殺害されるという事件が起こった。このことから、彼女はフラミンゴで思いがけずハリー・ボッシュに再会し、そこではじめて「運命の女性」とよばれる立場が不動のものとなる。ふたりにとっても、また読者にとっても、ロマンチックで運命的な絆を感じさせる筋立てに異論があろうはずはない。ただ、LAPDの刑事とラスヴェガスのギャンブラーが、管轄が異なるとはいえ隣接した地域で活動していれば、かなりの確率で起こり得る偶然だったという気もする。つまりそういう意味で、コナリーのプロットはむしろ自然であり、飛躍を感じさせるものではない。

LA_usa-1061845_960_720-02そのあと、物語は加速する。ふたりで飲み交わした翌日、エレノアは世話してくれた男との関わりから警察に拘留されるが、ボッシュの手配で釈放される。さらにその夜、こんどは組織の隠れ家に拉致されてしまうのだが、2日後にはボッシュによって救い出される。事件が解決に向かうなか、エレノアはウッドロー・ウィルソン・ドライブのボッシュの自宅に泊まることとなり、彼女の生活拠点はその時点で、ラスヴェガスからLAに移った。

ふたりは再会からわずか数日後の6月13日に結婚する。ふたりが一緒に望んで出した結論であろう。だが、結婚のインパクトは、エレノアよりもボッシュのほうにより必要だった。彼女はボッシュに安息の場を与えた。またボッシュには、細かな経緯を省くが、この結婚で天敵のような内務監査課(IAD)の追求を消し去る効果もあった。しかし、エレノアのほうは、この結婚でほんとうにボッシュほどに満たされたのだろうか、あるいはそれ以前に、そもそも満たされる必要があったのだろうか、という疑問がある。

Nighthawks_by_Edward_Hopper_1942_Partさて、数年前の別れに際して、エレノアからボッシュに託されたエドワード・ホッパーの絵は、その後の地震で失われるのだが、エレノアはラスヴェガスの家にもう一枚をしっかりキープしており、結婚後、ボッシュの家に(ふたりの家と言いたいところだが)飾られることになった。この絵は確かに「ふたりの心のつながりを象徴するもの」(岩田清美氏による解説)である。ただ、エレノアの自立した魂は、ときおり無性につながりを求めるが、ふたたび孤独に戻ることを恐れておらず、感傷を寄せつけない。その点はボッシュ以上だ。

彼らは新婚旅行をハワイで過ごすのだが、そこから未来につづく幸福のイメージは溢れ出てこない。ビーチで事件の重要参考人を見かけ、何もせずに見逃すというシニカルなエピソードが強いて語られている。読者は、不安に似た一抹の感情を抱きつつ、今回も物語の一幕が降りるのをただ見ているほかないのだろう。

エレノア・ウィッシュ その4 につづく。

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投稿者: heartbeat

管理人の”Heartbeat”(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代前半。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。