「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密 2

さらに、コナリーは言う。

「執筆しているのは、日夜人間の深淵に引きずられ、仕事によって混沌とその結果の風景を隅々まで引きまわされる男の話。人間のなかに巣くう恐ろしい悪魔に立ち向かい、そのあいだずっと自身の暗い気持ちと葛藤する男の話なのだ。その日から、彼はヒエロニムス・ボッシュ刑事となった」(「ヒエロニムス・ボッシュ」マイクル・コナリー; 三角和代訳、ミステリマガジン2010年7月号より)

フリードリヒ・ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 – 1900)
フリードリヒ・ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 – 1900)

画家ボッシュが描いたような悪夢の光景、「人間のなかに巣くう恐ろしい悪魔」に立ち向かうヒエロニムス・(ハリー)・ボッシュは、まさに、ニーチェのいう「深淵を覗く者」を想起させる。

「怪物と戦う者はだれであれ、その過程において、自分が怪物とならぬよう気をつけなくてはならぬ。そして、おまえが深淵を覗きこむとき、その深淵もまた逆にこちらを見つめかえしているのだ」 ― ”Wer mit Ungeheuern kämpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer wird. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.” ―『善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Bose)』の146節

 

ブラック・ハート〈下〉 (扶桑社ミステリー)ブラック・ハート〈上〉 (扶桑社ミステリー)コナリーは、「ブラック・ハート(The Concrete Blonde)」のある場面で、ボッシュと対峙する弁護士チャンドラーという人物の口を借りて、上記のニーチェのことばを語らせている。ここでボッシュは、心の奥にひそむ闇との対決において、深淵を覗くあまりに怪物の側に立ってしまったのではないかと、弁護士に迫られているのである。

「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密3 につづく。

 

 

More from my site

  • ボッシュの履歴書(8) ひとときの居場所ボッシュの履歴書(8) ひとときの居場所 1996年1月、ボッシュは18ヶ月の強制休職処分を終え、ハリウッド署盗犯課に復帰。その後9月1日に同署殺人課にもどってきた。ボッシュ46歳。こんどの上司はグレイス・ビレッツ(Gr […]
  • 夜より暗き闇 A Darkness More Than Night夜より暗き闇 A Darkness More Than Night 2001年1月、「わが心臓の痛み」からおよそ3年後、引退生活を送るテリー・マッケイレブはFBI時代の腕を買われ、ある事件捜査の協力を依頼された。マッケイレブは現場を見て連続殺人を […]
  • 転落の街 The Drop転落の街 The Drop マイクル・コナリーは2009年の「ナイン・ドラゴンズ」で、ハリー・ボッシュ・シリーズに織り込まれていた主要プロットの一部を強制的に、まったく別の方向へとシフトしてしまった […]
  • ブラック・アイス The Black Iceブラック・アイス The Black Ice 1992年12月、ボッシュ42歳。麻薬課の刑事ムーアの死体がモーテルで発見された。一見、ショットガンによる自殺と判断できる状況であったが、検視によって偽装と判明する。ボッシュはひ […]
  • 「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密 3「ヒエロニムス・ボッシュ」の秘密 3 ヒエロニムス(Hieronymus)とは、画家ボッシュが俯瞰した悪夢のような世界に立ち向かう者の名前であった。また、ニーチェの言う「怪物と戦う者」、「深淵を覗く者」の符号でもあっ […]
  • ラスト・コヨーテ The Last Coyoteラスト・コヨーテ The Last Coyote 1994年1月、ロサンジェルス地震が発生し、ボッシュの自宅も被害を受ける。そんななか、ボッシュはあるトラブルから上司のパウンズ警部補につかみかかり、暴行を働いたことで強制 […]

投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。