ハリー・ボッシュが大好きなジャズ・プレーヤーをひとりだけ挙げるとすれば、フランク・モーガン、あるいはアート・ペッパーであろうか。後者について、かれの思いをたっぷり語る場面が「夜より暗き闇(A Darkness More Than Night)」に描かれている。
テリー・マッケイレブがある目的でボッシュの自宅を訪れると、ステレオにはすでにペッパーがかかっていた。マッケイレブは話の合間にステレオの前に行き、CDケースを見て訊ねた。「『いまかかっているのはこれかい?(中略)《アート・ペッパー・ミート・ザ・リズム・セクション》?」 するとボッシュは、待ってましたとばかりに、その盤についての蘊蓄を披露するのだ。
「アート・ペッパーとマイルスのサイドメンが共演している。ピアノがレッド・ガーランド、バスがポール・チェンバース、ドラムがフィリー・ジョー・ジョーンズだ。ここLAで1957年1月19日に録音された。一日かぎりのセッションだ。ペッパーのサックスのネックのコルクはおそらく割れていたんだろうが、そんなことどうでもいい。ペッパーはサイドメンたちと一回かぎりの録音をおこなった。その機会を最大限に活用したんだ。一日かぎり、一回かぎり、そしてひとつのクラシックが生まれた」 ―― Art Pepper, “You’d Be So Nice To Come Home To” and “Straight Life” in “Art Pepper Meets The Rhythm Section”(CD)
ボッシュの話は止まらない。母親がペッパーのレコードをたくさん持っていたこと、また彼女はペッパーが演奏するジャズクラブに出入りしていたこと、少年だったボッシュ自身はペッパーが自分の父親かも知れないと空想していたこと、後年ペッパーの自伝を読んだこと・・・などをマッケイレブ相手にくさぐさ語り、読者もまたボッシュの知られざる一面を発見することになる。
情報収集を続けるマッケイレブはそのあと、ボッシュに教えられたハリウッドのバーに立ち寄る。そこでは・・・「ボブ・シーガーの古い曲、《炎の叫び》を奥のジュークボックスががなり立てていた」 ―― Bob Seger, “Night Moves” in ” Night Moves”(CD)
・・・大音量の曲が流れるなか、マッケイレブとバーテンの会話がひと区切りつき・・・「《ツイスティング・ザ・ナイト・アウェイ》がはじまった。ロッド・スチュワート・ヴァージョンだ」 ―― Rod Stewart, “Twisting The Night Away” in “Never a Dull Moment”(CD)
数日後、ふたたび同じバーで、ボッシュとマッケイレブが作戦会議のような会話をする場面。ストーリーと背景の楽曲がかすかにシンクロしている。「・・・店の奥まで客がひしめいていた。ブルース・スプリングスティーンがジュークボックスから、”町のはずれに暗闇がある”と歌っていた」 ―― Bruce Springsteen, “Darkness on the Edge of Town” in ” Darkness on the Edge of Town”
行き詰まりムードが漂うなかで、マッケイレブがボッシュにあるヒントを投げかける。「・・・ボッシュはそこで口をつぐみ、マッケイレブを見た。明らかに輪っかがまわりはじめていた。ロッド・スチュワートが《ツイスティング・ザ・ナイト・アウェイ》を歌っていた ・・・」 同じバーのシーンで繰り返し演奏されていることから、コナリーが同曲をひとつのテーマ曲のように扱っていると推察できる。
作戦会議が進んで一つの方向性が見えてきた。マッケイレブは周りをうかがうが、「バーでどんな言葉が交わされているのか聞きとれなかった。音楽がやかましすぎた。ヴァン・モリスンが”激しい夜がやって来る”と歌っている」 このあと、ストーリーが激しく展開しそうだということがさりげなく暗示されている。 ―― Van Morrison, “Wild Night” in “Tupelo Honey”(CD)
さて、これで終わりかなと思っていると、ボッシュらがバーを出ようとする去り際、ジュークボックスではダメ押しのような選曲が用意されている。「・・・ジュークボックスからジョン・フォガティが”不吉な月が昇っている・・・”と歌っていた」 ―― John Fogerty, “Bad Moon Rising” in “Premonition”(CD)