贖罪の街 The Crossing その2

さて、ボッシュが本気になって調査を開始するなり、ストーリーは、ページを繰る手を休ませることなくアップテンポで進行していく。本作の一つの特徴として、プロローグで早くも謎めいた”悪”の存在が明かされており、ボッシュはその追跡者となるわけだが、対する相手もボッシュを追跡することになる。こうした手法は、スピンオフ作品の「スケアクロウ(The Scarecrow)」に採用されていた気もするが、シリーズ本編としては目新しいスタイルであり、いつも以上にスピード感やサスペンスを感じられる作品に仕上がっている。

ボッシュの足:旧型のジープ・チェロキー
Photo by IFCAR – 1984-1996 Jeep Cherokee (2008)

本作で、ボッシュに立ちはだかる障害はいつもより険しく、厳しい。ボッシュはLAPDの部外者となったばかりか、被疑者を弁護するハラーの側についたために、元同僚から”裏切者”といった意味のレッテルを貼られ、大逆風の中を進むことになる・・・という点も一つの見どころ。もちろん、逆風に立ち向かう主人公はハードボイルドの伝統であり、また、孤立しがちな主人公をぎりぎりのところで誰かが助ける、という展開は本シリーズのもう一つの伝統と言っていいだろう。今回は誰がボッシュを助けるのか。一人は前作でボッシュと精神的きずなを結んだ刑事ルシア・ソト(Lucia “Lucky Lucy” Soto)、もう一人はこれまでも様々なレベルでボッシュを支援してきた精神分析医のカーメン・イノーホス(Dr. Carmen Hinojos)、この二人に意外性はない。ほかにも誰か・・・? という点は”お楽しみ”としておこう。

”クロッシング(crossing)”を実行したボッシュの決断(あるいは、実行させた作者の決断)は、作中に登場する人々はもとより、読者に対してもある種の”踏み絵”を迫っている。つまり、その決断について「共感・支持」するか、あるいは「違和感・不支持」とするかという踏み絵である。筆者の立場は前者だが、読み進めるにしたがい、刑事弁護サイドに対してひたすら敵愾心を顕わにしていく訴追サイドには、眉をひそめざるを得ず、ハラー&ボッシュ・チームをますます応援したくなった。犯罪を憎む気持ちは誰にでもあるが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に冤罪を良くないと感じる人ならば、本作におけるボッシュの決断や行動に多かれ少なかれ共感できるだろう。

マディの足:パウダーブルーのVWビートル
Photo by Hasse Aldhammer – The very last car of the last model of Volkswagen Type 1, “Última edición” / CC BY-SA 3.0

本シリーズにおいて、ボッシュに対する”リトマス試験紙”的な役割は、娘のマディに与えられている。法執行官をめざしているマディは、父親ボッシュが、叔父ハラーの依頼とはいえ、刑事弁護の案件に取り組んでいると知ってがっかりし、あからさまに怒りを示す。しかし、父親と叔父が無実の人を弁護していることは次第に明らかとなっていき、その後の展開は述べるまでもないだろう。本作の時点で、マディは、ハラーの娘ヘイリーと共にチャップマン大学(Chapman University)に進学すること、ふたりがルームメイトになることが決まっているが、学費を賄っていくには多少の奨学金ではまったく足りず、父親らが援助を欠かすことはできない。ボッシュは幸いなことに、ハラーのおかげで対LAPD訴訟に成功し、年金の少なくない増額を勝ち取れそうである。

チャップマン大学
Photo by Bobak Ha’Eri – Schmid Gate entrance to Chapman University, California. (2008) / CC BY-SA 3.0

本作には、ストーリーとあまり関係ないが、マディが母親のエレノア・ウィッシュを回顧するシーンが短く挿入されている。母親を失ったマディの深い喪失感に接して、ボッシュはかける言葉が見つからない。かれ自身も「長いあいだエレノア・ウイツシュのことを考えていなかったのを悟って」心の中で詫びるのだが、筆者などは、不慮の死を遂げたエレノアに対して追慕の情をあまり見せることもなく、むしろ冷淡にふるまうボッシュに共感することが難しい。しかし、作者への苦情はそのくらいにしておこう。(「エレノア・ウィッシュ その5」を参照)

さて、本作の終盤には、ミッキー・ハラーの華麗な法廷シーンが読み応えたっぷりに控えており、リーガル・ミステリのファンも大いに堪能できることを保証したい。また、映画で2度、ハラーを演じたマシュー・マコノヒュー(Matthew McConaughey)について書かれた場所にくれば、常連ファンへのサービスと承知していても、思わずニッコリしてしまうことは間違いない。映画シリーズの方でもし本作が採用されるならば、ハラーはマコノヒューで決まりとして、ボッシュはいったい誰が演じることになるだろう?と想像してみるのも楽しい。あとは例によって余談であるが、ハリー・ボッシュ・ツアーの追加新名所として、ユニオン・ステーションの中にあるレストラン「トラックス(Traxx Union Station)」を紹介しておこう。本作の冒頭で、ハラーとボッシュのチームがこの場所からスタートするのである。

Photo by Mackerm at English Wikipedia – Waiting room of Union Station, LA (2008) / CC BY-SA 3.0

ふたりはユニオン駅の〈トラックス〉で食事をした。裁判所から近く、昼どきに判事や弁護士たちに好まれているいい店だった。


(”Traxx Restaurant and Bar”は写真の奥の方)

 

 

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。