燃える部屋 The Burning Room その2

Photo by Bruce Boehner – Boyle Hotel, Cummings Block, 101 North Boyle Ave. (2014) / CC BY-SA 3.0

前の記事では、ボッシュとロサンジェルス(LA)の特別な関係、それにもとづくボッシュ独自の捜査スタイルなどについて、筆者なりの注目点を述べてみた。もうすこし関連事例をピックアップしてみよう。コナリーはLAを「第2の主人公」に設定し、作品ごとにLAの”名所”をとりあげては楽しませてくれるが、今回のハイライトの一つは、事件現場となったマリアッチ広場(Mariachi Plaza)の向かいにあり、ホテル・マリアッチとも呼ばれる歴史的建造物「ボイル・ホテル(Boyle Hotel)」だ。コナリーは、捜査中のボッシュの視点を通して、また、ボッシュの深い記憶や心象部分と巧みに結びつけながら、この名所を紹介している。

若いころ、ボッシュはボイル・ホテルをよく知っていた。(中略)・・・はっきりとは思いだせないが、ぼんやりとしたあいまいながらも不愉快な記憶がボッシュにはあった。人生の最初の十一年間、彼は母親とともに暮らし、時に、旧ホテル・マリアッチの住民のように住まいを転々としていた。記憶にないくらいたくさんのところに住んでいたし、すべて五十年まえのことだった。

LAPDのベテラン警察官ならLAの通りや街をよく知っていて当然だが、ボッシュほど、総合的な地理把握能力や仮説構築力、あるいは未解決事件の記憶とそれへの執着を持ち合わせているとは限らない。ボッシュは、前出の第2の事件;ウエストレイク(Westlake)の放火事件現場と、発生タイミングの近い(調べてみると同日に起こっていた)別の武装強盗事件、すなわち第3の事件の現場が比較的近いことに着目する。2つの事件がリンクしているかも知れない、という仮説はそれなりにエキサイティングだ。さらに第3の事件が、1997年のノース・ハリウッドにおける有名な銃撃事件(*すなわち、第4の事件!)ともリンクすることを発見していくのである。

(*)1997年2月28日、開店直後のバンク・オブ・アメリカ、ノースハリウッド支店で銀行強盗が押し入り、激しい銃撃戦となった事件。当時ハリウッド署に勤務していたボッシュも駆り出されている。(「ボッシュの履歴書(9) 出会いと別れ」を参照)

Photo by Peetlesnumber1 – San Fernando valley at night from Mulholland Drive (2015) / CC BY-SA 4.0

地理的な話題のついでに、”マルホランド・ドライブ(Mulholland Drive)”について補足しておきたい。本シリーズでコナリーが地理・空間モチーフとして好んで選択し、あるいは「第2の主人公」として頻繁に描き込んでいる場所はどこかといえば、それはやっぱりマルホランド・ドライブとその周辺なのである。この通りは、シティを南北に「半分に分けている(サンタモニカ)山脈の背を通る道路」として風光明媚で知られ、近くにハリウッドの有名人や(かつては)コナリー自身も住み、ちょっと枝分かれして行けばボッシュの家もあり・・・と、作品化にあたって重宝このうえない。そして本作では、ある人物が住む重要現場の一つとして、ボッシュらの密かな監視対象となる。

・・・住所は、道路の北側にあり、サンフェルナンド・ヴァレーの景色が目のまえに広がっているところだ。(中略)一ブロック先で、ボッシュは、市立公園の展望台への駐車用待避所に車を停めた。車を降り、歩いてマルホランド・ドライブを戻った。

さて、ボッシュとソトは、錯綜したいくつもの事件をどのように解明していくのか。それはもちろん読んでいただくしかないが、ボッシュと同世代の筆者には、捜査の行方もさることながら、引退間近となったかれの仕事ぶりの方が気になる。ふたたび、捜査における”ボッシュ・スタイル”の集大成という視点に戻ってみよう。

64歳のボッシュを評価する前に、かれがもっと若かったころ、どんな警察官であったかを思い起こしてみる。ボッシュははじめ「弾丸のように容赦なく、ひとりで行動し、心に他人を寄せつけない自力本願の一匹狼」だった。他人と馴れあうことを潔しとせず、組織のなかで衝突やあつれきが絶えない。事件解決のため他に選択肢が無いと思えば、組織の論理やしがらみなど一片も顧慮することなく、周りの意見など聞こうともせずに、ひたすら突っ走り、突き進む。ボッシュは長いこと、そのように見られてきた。(ボッシュ人物論(3)どのような警察官か)

そして、60代に達するころのボッシュについて、筆者は次のように書いた。主人公といえども、一人の人間としてリアルタイムに変化する。したがって、かれが青壮年期に比べて丸くなったり弱くなったり、以前のボッシュらしくなくなっても、自然な流れ、あるいは人間らしい変化と理解すべきかも知れない・・・(ボッシュの履歴書(15)60代の刑事)。 さらに、ボッシュは、残り少ないことがはっきりしている刑事人生についてかれなりの感慨を抱きつつあり、かつて見られた「一匹狼」的な部分はかげを潜め・・・、チームの司令塔といったイメージでもないが、押さえるべきところを押さえ、最終的に部下や協力者の力をめいっぱい引き出して解決に導く。ボッシュには、これまでにない円熟味が加わっている・・・と。(転落の街;The Drop

このような流れから本作の「燃える部屋」にいたり、ボッシュの捜査技術はいちだんと、老練さや完成度を増しているように思える。たとえば、次のケース。どんな未解決事件にも最初に失敗したチームがいて、忸怩たる思いに沈んでいる。ボッシュはかれらの協力を得たいが、事件を担当して結果を残せず、のちに仕事もとりあげられるという二重の屈辱に苦しむかれらは、かたくなに口を閉ざしている・・・。ボッシュは諄々と説く・・・「あんたに訊ねる。こいつはあんたの事件調書だ、ロドリゲス。おれにはわかる。だから、おれが話さねばならないのはあんただ。協力してくれるだろうか?」・・・相手の口は相変わらず重かったが、ボッシュは最終的に協力を得ることに成功する。(拍手!)

また本作では「これがかつて”一匹狼”と呼ばれた男だろうか」と見違えるほど、人的ネットワークを駆使するボッシュに驚かされるだろう。とくに、若いソトがキャリアを賭して取り組んでいる1993年の事件は、ソト自身が調べるには限界があり、ボッシュが古いコネや知識を引っぱり出して、いまはリタイアしている元刑事たちに接触し、情報を得ていくしか方法がない。かれはその役割を進んで引き受け、何ともスムーズにこなしていく。ボッシュについて「普通のひと付き合いは苦手で、あつれきを起こすのが得意」と思い込んできた読者は、年齢相応に老成した姿に感服することになる。その変貌ぶりについて「意外なことに」というフレーズを付け加えるのは、たぶん失礼にあたるだろう。

Photo by Minnaert
– Los Angeles Times Building (2008) / CC BY-SA 3.0

ボッシュはまた、新人のソトにはストレートに伝授することがためらわれるような”裏ワザ”(=通常は禁じ手。古参刑事だけに可能なテクニック)も披露している。具体的には、記者にスクープを約束し、見返りに何らかの情報提供を受けるというもの。ボッシュの受け取るものが経済的価値でなく、正義に結びつくものであったとしても、一歩間違えば大惨事というリスクがある。なお、今回のケースでは、記者がなかなか魅力的な女性であることから、ボッシュにとって別の危険性(あるいは楽しみ!)も示唆されており、なかなかに興味深いエピソードとなっている。また、ボッシュの情報取集に関しては、今回もあのレイチェル・ウォリングに助けを求める場面が用意されており、そちらもファンにとっては楽しみである。

レイチェルの消息については、いずれ別の記事でより詳しくご紹介したい。本作では、そのほかにも、シリーズ同窓会に欠かせない人々が懐かしい顔を見せている。その内の一人は、検屍官補のテレサ・コラソン(Teresa Corazon)で、ボッシュとコラソンはご承知の通り「かつてごく短期間、ロマンチックな関係を結んでいたが、それはずいぶん昔の話・・・」という間柄。もう一人挙げておきたいのは、LAPD専属の精神分析医、カーメン・イノーホス(Dr. Carmen Hinojos)である。ボッシュとの関係が、初期の「ラスト・コヨーテ(The Last Coyote)」に遡るほど、本シリーズに不可欠のバイプレーヤーであり、ボッシュとそのファミリーが相変わらず世話になり続けていることが、いちファンとして何となく嬉しい。

Beverly Hilton Hotel, in Beverly Hills (本作の一場面)

あと(けして忘れたわけではないが)、ボッシュの娘マディ(Madeline “Maddie” Bosch)は快活な高校生となっており、ボッシュに「本気で警官になりたがっているのか、あるいはなんらかの形で父親を喜ばせようとしてなりたがっているふりをしているのか」と考え込ませている。いずれにせよ、父娘は良い時間をともに過ごしており、そうした平穏無事な光景が、緊張感あふれる本シリーズに重要なバランスをもたらしていることは間違いない。

さて、本作について長々ご紹介してきたが、もしかすると、主人公ボッシュの老成・円熟ぶりをやや強調しすぎているかも知れない。かつて筆者は、次のようにも書いている。「読者がボッシュに何をどう望もうとも、かれの本質部分は永遠に変化しない(=老いない)ことも不思議と信じられる」・・・と。言いたいことはお察しいただきたい。こんどもまた、次作が待ち遠しい。

 

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投稿者: heartbeat

管理人の"Heartbeat"(=心拍という意味)です。私の心臓はときおり3連打したり、ちょっと休んだりする不整脈です。60代半ば。夫婦ふたり暮らし。ストレスの多かった長年の会社勤めをやめ、自由業の身。今まで「趣味は読書」といい続けてきた延長線で、現在・未来の「同好の士」に向けたサイトづくりを思い立ちました。どうぞよろしくお願いします。