ブラック・ハート The Concrete Blonde

art-therapy-229310_960_720-021989年の「ドールメイカー」事件で、ボッシュは通報によって容疑者の部屋に踏み込み、男が枕の下に手を伸ばしたのを見て射殺した。ところが、枕の下に武器は無く、カツラしかなかった。部屋に残された物証から男が犯人(ドールメイカー)であることは立証されたものの、ボッシュは、非武装の容疑者を殺したとして警察内部で追求され、処分ののち左遷されていた。

それから4年経った1993年11月、ドールメイカーとされた男の未亡人が、「夫は無実だった」としてボッシュを告訴した。ボッシュは法廷に立つことになるが、その裁判開始の日、LAPDに新たな犯行を知らせるメモが届き、ドールメイカーと同じ手口で殺されたコンクリート詰めの女性が発見される。犯人は別の人物だったのか?四面楚歌の中でボッシュは、裁判を受けながら自力で事件の真相を追っていく。

フリードリヒ・ニーチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844 – 1900)

本作で、新たな事件と並行して、法廷での厳しい闘いが繰り広げられるところは、まさにりーガルサスペンスである。ボッシュと対峙する相手弁護士の名前が「チャンドラー」というのは面白い。ここでコナリーは裁判のある場面でチャンドラー弁護士に、次のようなニーチェのことばを語らせている。

「怪物と戦う者はだれであれ、その過程において、自分が怪物とならぬよう気をつけなくてはならぬ。そして、おまえが深淵を覗きこむとき、その深淵もまた逆にこちらを見つめかえしているのだ」 (ニーチェの『善悪の彼岸(Jenseits von Gut und Bose)』の146節)

善悪の彼岸 (岩波文庫)善悪の彼岸 (光文社古典新訳文庫)ここでボッシュは、心の奥(ブラック・ハート)にひそむ闇との対決において、深淵を覗くあまりに怪物の側に立ってしまったのではないかと、弁護士に迫られているのである。ボッシュの述懐も描かれている。「(ボッシュは)・・・黒き心(ブラック・ハート)のことを考えていた。その搏動はとても強く、街全体の脈拍(ビート)を定めることができるほどだった。ボッシュは、それがずっと自分自身のバックグラウンド・ビート、リズムになるのだろうとわかった」

なお、本作では、ボッシュの母親が殺害された事件に関する新たな事実も浮上し、次作への布石となる。