ラスト・コヨーテ The Last Coyote

ロサンジェルス地震 (Northridg Earthquake) 1994年1月
ロサンジェルス地震
(Northridg Earthquake)
1994年1月

1994年1月、ロサンジェルス地震が発生し、ボッシュの自宅も被害を受ける。そんななか、ボッシュはあるトラブルから上司のパウンズ警部補につかみかかり、暴行を働いたことで強制休職処分となってしまう。ボッシュは、復職の条件として精神分析医カーメン・イノーホスのカウンセリングを受けるが、ふたりの静かな対話からボッシュの心のうちが深く描き出されていく。(詳しくはこちら。ウッドロー・ウィルソン・ドライブの自宅

ボッシュは、この期間を利用して未解決に終わった33年前の母親の事件を調べ始め、自分が長い間それを心の片隅に追いやっていたことは過ちであり、自分が任務(mission)から逃げていたことに気づく。「母は価値のある人間とみなされてこなかった・・・おれにさえも」 ―、このことによって、ボッシュがそれまで、「自分はなにものであるのか」を探し続けてきた旅にひとつの区切りがつけられる。(その詳しい経緯はこちら。ボッシュ人物論

coyote-mdfd-02ラスト・コヨーテとは、ボッシュの自画像にほかならない。「喧嘩早くて、だれにでも引っかき、警戒の声を向ける猫は、仔猫のときに充分抱かれていなかったからなのだそうよ」と、ある女性がボッシュに語りかける場面が描かれる。ボッシュは十分に愛されたことのない仔猫のように育ち、だれも信用せず、独りきりで生きる人間であることに、読者も気づかされる。

「ボッシュはロウレル・キャニオン大通りを左に折れ、曲がりくねった道路をたどって、丘をのぼっていった。マルホランドの交差点で、赤信号に止められ、青になったら右折しようと左手からくる車をチェックしようとしたとき、ボッシュは凍りついた。道路の左路肩にある涸れ谷(アロヨ)の茂みのなかから、一匹のコヨーテが姿を現し、交差点をおずおずと見回したのだ。ほかに通っている車はなかった。ボッシュだけがそのコヨーテを見ていた。

coyote_(fox)-88956_960_720-3その獣は、都会の丘陵地帯で生きていくための苦闘で、やせ細り、毛はばさばさになっていた。涸れ谷から立ちのぼる霧が、街頭の反射を受けて、コヨーテに淡い青色の光を投げかけていた。コヨーテは、つかのま、ボッシュの車をじっと見つめている様子だった。その目がストップライトの反射を受けて、輝く。ほんの一瞬、ボッシュは、コヨーテ、かまっすぐ自分を見つめているのかもしれないと思った。と、獣は背を向け、青い霧のなかにもどっていった」(本文より)

ボッシュが見たサンタモニカ山地の「最後のコヨーテ」は、独りきりで生きていこうと苦闘するボッシュ自身の表象である。また、かれがもし父親の姓を受けていれば、名前はハリー・ハラー(Harry Haller)となるが、それはへルマン・へッセの「荒野のおおかみ(Der Steppenwolf)」の主人公と同じ名前である。「荒野のおおかみ」で苦悩するアウトサイダーの魂は、「ラスト・コヨーテ」と少しだけ呼び名を変えて、ハリー・ボッシュに乗り移っているのである。(こちらも参照。「ハリー」に隠された、もう一つの符号

第1作から「自分がなにものか」を探し続けてきたボッシュのこころの旅は、第4作「ラスト・コヨーテ」(本作)で一応の区切りがついた。しかし、ボッシュはこの先も自分の居場所を探していかねばならない。